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そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

雑記、コラム「遠く、誰かの人生」

 地元の新聞を眺めていて、ふと紙面下部の広告欄に目が留まった。
 店主の名字を冠するありふれた名前の電器店だった。二つ隣の街にあるそこは、表向きこそ電器店を名乗っているが、実際はプラモデル専門店の様相を呈しているとの話を耳にしたことがあった。
 プラモデルが子供たちに大人気だったころならいざしらず、このご時世にあってプラモデル専門店という商売は決して楽ではないだろう。
 ふと興味の湧き、一度も足を運んだことのないそこがどういう店なのか、グーグルストリートビューで外見の様子だけでもうかがってみることにした。
 店は商店街の一角にこぢんまりとたたずんでいた。
 だが、間の悪いことにストリートビューの写真が撮影された日は店が休みだったらしく、様子をうかがおうにもシャッターはピタリと閉まっている。
 しかたないので店名を打ち込んで画像検索してみる。すると、外観の写真はすぐにみつかった。
 ガラス戸には今昔のガンプラのポスターがところ狭しとベタベタ貼られていて、これぞ街のプラモデル屋といった風情を醸し出している。表ではためくタミヤののぼり旗もいい。
 続けて、店内の様子も気になった。
 しかし、こちらは外観ほどには写真も情報も出てこない。なのでテキストのほうで検索をかけていくうちに、僕はとある個人ブログに辿り着いた。
 記事には、大学か専門学校の春休みに帰郷したついでに、子供のころよく通っていた件の電器店に顔を出してきたときのことが若者らしいくだけた文体で綴られている。
 このブログ主の彼が昔はミニ四駆にハマっていただとか、プラモデル屋の店主は相変わらず笑わないだとか、成人式が近いだとか、まぁ、よくあるWEB上に公開された個人の日記だ。
 たわいのない日常話をあっという間に流し読みして、僕は検索結果に戻ろうとした。が、そこでふと、この記事の日付に目が留まった。
 2005年の4月、ちょうど10年前。これはまた、ずいぶん古い記事に辿り着いたものだと思った。
 そういえば、ちょうどブログというコンテンツが流行りだしたのはこれぐらいの時期だったかもしれない。
 現に、僕も同じような時期にブログをはじめて、主に車趣味について綴っていたものだ。
 今記事を書いてるのとはまた違うそのブログは更新しなくなって久しい。だが、2、3年で更新が止まってしまったブログなんて、僕のに限らずWEB上にいくらでもころがっている。
 たぶん、このブログもそうなんだろうな。と、なんとなく想像しながら、検索結果に戻るのを中断して、しらない誰が書いたこのブログのトップページをクリックしてみた。
 すると意外なことに、ブログは2015年の今でも更新され続けていた。
「ほぅ」と、思わず感心の声が漏れる。
 頻繁に更新しているふうではなかったが、それでも一つのブログを10年続けるなんてなかなかできることではない。
 継続力の他に、もう一つ感心したこともあった。
 ほとんど喋り言葉のようだったジャンクな文章が、スマートかつ妙に読ませる文章へと変わっていたのだ。
 ただ漠然と文字を書いているだけで文章が洗練されていくわけではないことが身にしみている作家志望の僕としては、 いったい何がきっかけで彼の文章が変わったのか気にならずにはいられなかった。
 比較的最近の日記をつぶさに読んでみる。
 職場の同僚と山に登った。友人とフットサルを楽しんだ。同期に二人目の子供が生まれた。
 断片的に散りばめられた情報を拾いあげていくうちに、この彼が僕と同年代であることがわかった。結婚もしている。転勤がやや多い仕事をしているようだが、さりとて不満があるわけではないらしい。
 ひと通りそろった人生。
 表面的な情報だけをすくいあげれば、単なる幸せ自慢のブログにしか思えないだろう。
 たけど、日記に添えられた楽しげな写真とは裏腹に、彼の文章は妙にセンチメンタルで、言いようのない寂しさのようなものが滲み出ていた。
 幸せはそれを味わっている瞬間だけが真実で、過ぎ去ってしまえば寂しさの反動に襲われる。
 尊いものだとわかっていて噛みしめれば噛みしめるほど、苦い後味が残ったりもする。
 幸せなはずの彼の日記は、そういう寂しさでいっぱいだった。

『これからも大切な人はこの世の中からいなくなり続けるんだろう。』


 旧友の死に思いを馳せる彼の言葉だ。この直後に続く前向きな言葉が、彼の抱える寂しさを余計に際立たせてるように思えた。

『俺は自分が最終的に手に入れたいものや、自分がどうしてもやりたいことを知っている。
そして、それが、きっと叶わないだろうこともわかってる。
帰り道
ゆっくり、ひとつひとつをひもとくように考えながら歩いていたら、それはわかった。
仕事をして、酒を飲んで寝て、また仕事に行く毎日。
帰り道に、月は出ていない。
もうすぐ朝。』

『俺は、きっとカウボーイにはなれないだろう。
なる術を知らないし、カウボーイになるためには、俺は少し、不自由すぎる。』

 彼は日記のつもりで書いてるのかもしれないが、ほどんど詩に近い文章だ。
 それと、彼の身にのしかかる倦怠感を僕もよく知っている。それに堪えきれなくて、僕という蛙は井戸から飛び出そうとした。
 ふいに、なぜ彼の文章が変わったのかわかった。
 彼自身が変わったからに違いない。
 孤独は人を詩人にし、苦悩は人を哲学者にする。
 時間の流れは人を変える。気持ちが移り変われば文体だって変わる。これからも変わってゆくのだろう。僕も、彼も。
 ひょんなきっかけで出会った、しらない誰かの人生に思いを馳せた。そんな、五月のある日のこと。
 春は過ぎ去り、外は初夏の日差しが降り注いでいる。