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そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

コラム「これは絶望ですか?」

大災害後の世界を描いた瀬戸口廉也氏の傑作SWAN SONGの一場面
既存の社会が崩壊しても尚、争いを続ける人々を見てヒロインの柚香は呟く
「どうせ死んじゃうのなら 楽しい事ばっかり考えて過ごせばいいと思いませんか?
争ったり傷つけあったり、そういうのは 何だか余計な事みたいです
平和に明るく笑いながら生活すればいいんですよ
食べ物が足りなくなったとか誰かが嫌なことをされたとかそういうのは、別にもうどうでもいいじゃないですか
どうしてそんなことでむきになるんですか?
変にこだわって生きている辛さをこれ以上増やさなくたっていいじゃないですか、それなのにいがみあって、わざわざ恐ろしいことを増やしている
何でですか?」
これに対し主人公の司は、柚香が抱いている感情は絶望だと指摘した上でこう返す
「いくら難しい状況だからって、ちょっとでも生きるつもりがあるなら楽なんて出来っこないですよ
たとえ気休めだって、とんでもない間違えだって、無駄な努力だと解っていてもしてしまいますよ
もがき苦しむのは仕方ないんです
それを辞めることが出来るのは 本当に何もかも諦めたときだけだと思うんです
希望を完全に捨ててしまえば後は笑ってればいいだけかもしれません」
さて、ここで先日瀬戸口信者にオススメと書いた わんことくらそう の主人公・祐一の話をしよう
彼は「生きてくのが寂しくて辛く、欲しい物が手に入らない」と苦悩を打ち明けるヒロインに対し、自らを「望む物が手に入らない事に対し、そういう風に怒ったり憤ったりできない、諦めてるろくでなし」と評した上でこう述べる
「諦めると当面の未来が閉じる変わりに大分楽になりますよ
まぁ、どんなに生きても、せいぜい後5、60年です
それまで、何となく目に届く範囲で手に入る範囲の物を手に入れてそれなりに生きて行くしかないんじゃないですかね
そういうもんだと考えると気が楽です」
彼が諦観の末に行き着いた楽な生き方
これは司が言う所の絶望ではないだろうか
絶望を抱える柚香と祐一
しかし二人とも絶望を抱えながらも生きる事の否定はしない
救いも希望も幸福も自分には無縁の物と諦めておきながらも生きる事を投げ出しはしないのだ
これに果てしなく虚無的な何かを感じるのは俺だけだろうか
それぞれ世界観や雰囲気が全く違う作品なのにも関わらず、諦観と絶望を抱えながら生きる彼ら
それに共感を覚える俺もまたろくでなしなのだろう