そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

コラム「殺し愛」

「さあ、愛しあおうじゃないか」
これは先日レビューを書いた竜†恋を最も象徴する台詞だ
この台詞は愛の囁きであると同時に殺し合いの始まりを意味する言葉でもある
竜†恋という作品において、愛しあう事と殺し合う事は同義だ
言葉に表すなら「殺し愛」とでも言おうか
この作品は、闘う事と恋をする事を同じベクトルとして描いている
闘いという求愛行動
それは激しく歪でありながら、どこか純粋で崇高さを讃える行為
恋愛と同じで、その根底にあるのは、ひたすら真っ直ぐに相手を求める想い
例えば、奈良原一鉄の「刃鳴散らす」は、この「殺し愛」を極めて濃密に描いている
作中、主人公 赤音は宿敵 伊烏に向けて、こう言い放つ
「臓腑でも何でも、目でも鼻でも耳でも、お前にだったらくれてやる」
これは文面だけ見ると最早、愛の告白だ
この相手になら自分の中身を全てさらけ出して捧げてもいいという想いの現れである
また、エロゲではないが、井上雄彦の傑作「バガボンド」の作中にはこんな台詞がある
「俺たちは、抱きしめる代わりに斬るんだな」
「儂の命を脅かす最強の敵は、最愛の友に等しい」
この作品もまた、闘いという愛情表現を徹底して描いている
好敵手という掛け替えのない相手を得る事への歓び
これは、恋人を得たのと同じくらい幸せな事なのかもしれない
闘いとは、全身全霊をもって愛しい者へと捧げる求愛ダン
俺が好んでやまない湾岸ミッドナイトもまた、数多の走り屋が悪魔のZという愛しい存在へ愛を捧げる物語だ
他に、ガンダムなんかもシャアがアムロに捧げる求愛ダンスの物語と言える
シャアの根底にあるのはアムロへの承認欲求
自分を受け入れて欲しい、自分を認めて欲しいという想い
そしてそれを対話ではなく闘いで表現しようとする
だから、圧倒的不利を承知でサイコフレームの情報をアムロに渡す
それは不甲斐ない相手に認めてもらっても仕方がないからだ
しかし、この物語は、あくまでシャアの片思いでしかない
アムロからしてみればシャアは、ただの敵
だから、アムロにとってのシャアは最後まで独りよがりな存在としてしか映らない
そもそも、闘いという求愛行動自体が永遠の片思いで終わる事の方が多い
恋愛を成就させる事が容易でないように、闘いもまた成就困難だ
だからこそ、互いの想いが通じ合ったそれは歪ながらも純粋で崇高なものとして俺の目に映るのかもしれない