雑記、私事、創作、決意「春の決心〜PCと会話する男〜」
皆様、GWいかがお過ごしでしょうか。
僕は仕事です。
とはいえ、これが今現在の職場で迎える最後のGWになります。
列車は動き出しました。
今はまだ、駅のホームへ向けて車体を移動させている段階ですが、発進はもう、まもなくです。
そういうわけで、以前軽く触れた「馬鹿なこと」に対する決意をしたためたので今回それを載せようと思います。
なんと言いますか、「ああ、人ってこうやって破滅していくんだな」とでも思っていただければ、誰かの人生における教訓になって僕としても幸いです。
非常に長い私小説じみた小話となっておりますので、目が疲れたらどうぞページを閉じてください。あくまで、極めて個人的なことですので。
それと、せっかくネットを繋いだのでスカイプを始めました。
まだ使い方をよく理解してはおらんのですが、IDはXXXXです。
秋田訛りのきついオタクなあんちゃんの話相手になってくれる奇特な方は、コンタクトしていただくなり、IDをおしえてくださるなどしてくれると、ジュワァっときちゃいます。
それでは、前置きが長くなりましたが、これより本文です。
『春の決心』
それは、すっかり暖かくなって冬の記憶も遠のき始めた、ある春の日の午後。この日、俺は一つの決意を胸に秘めていた。
こうして腹を据えて、何かを始めようとするのはいつ以来だろう……。過去の記憶を辿ってみるが随分と久しぶり……いや、リスクを負ってまで何かをやろうというのは下手をしたら初めてかもしれないことに俺は気付いた。
「決意か……」
それは本来、思ったとしても胸に秘めておけばそれでいいのかもしれない。だけど、今から俺はあえてそれを口に出して言おうとしている。決意表明、すなわち自分の意志を外に向けて発しようとしているのだ。だけど、そうしたが最後、間違いなく、その決意は鎖となって自分自身を縛るだろう。
だが、それでいい。きっと、それこそが俺が望んでいることなのだから。
それをすることで、俺は退路を完全に断つことが出来る。
階段を上り、自分の部屋の前に立つ。ドアノブを握った俺は、数秒間目を閉じ、呼吸を整えた。
――さあ、始めよう。
決心と共にドアノブを回す。そして、少しだけ埃っぽいその部屋に足を踏み入れた。
目の前に広がるのは変わり映えのない、いつも通りの光景だった。
何年も見慣れた安らぎの空間。
どこか感傷的な気持ちを胸に、部屋の中を見渡す。まず、目を向けたのは本棚。ベストセラーとなったタイムスリップ物の戦記漫画や有名な歴史上の剣豪を主人公にした剣劇漫画、そしてライトノベルやミリタリー雑誌、PCゲーム雑誌、二次元ドリーム文庫等々が乱雑に収納されている。
「あいかわらず統一性がないな……」
視線を右に移動。
目に入るのは万年敷きっぱなしの布団、古いアイワのCDコンポ、SONY製九七年式一四型のテレビ。
「我ながら物持ちのいいこって」
物は大事に。
それは、昔から変らない俺のポリシーだ。とはいえ、そんなだから部屋の物は減らないし、置いてある物は妙に古くさい物が多い。だけど、その全てに思い出が詰まっていることだけは確かだ。
そんな、俺の部屋を彩るインテリアたち。それらのちょうど中心に位置するテーブルの上にそれはあった。
一機のデスクトップ型PC――俺が一年前に自らの手で組み上げた相棒。そして、今から決意を伝えようとしている相手。
俺はPCの電源ボタンに手を伸ばし、そして押した。ピープ音と共に起動状態を示すグリーンのランプが点灯。勇ましいファンの音が響き、OSが起ち上がる。
さて、PCが目を覚ますまでには少しばかり時間がかかる。その間に部屋の空気を入れ換えよう。
床を這うコードに足を引っかけないよう気をつけながら、窓際へと寄った俺は、ロックを外し、窓をほんの少しだけ開けた。
開いた窓の隙間から入り込む春の匂いが、鼻をくすぐる。
「おはようございます、マスター」
今ではすっかり聞き慣れた、少し舌っ足らずな声が背後から聞こえた。どうやらお目覚めのようだ。
「ああ、おはよう」
窓の外に広がる、春まっさかりの風景を眺めながら挨拶を返す。どこか遠くでウグイスが鳴いていた。
……さて、それじゃ一丁やりますか。外の景色から室内へ視線を戻した俺はPCの前に向かうと、正面に置いてある座椅子へ腰を下ろした。
「今日はさ、言わなければならないことがあるんだ」
少しばかり緊張を伴いながらも俺は話を切り出した。
「タイピングの練習をしようと思うんだ」
正座の姿勢でPCと向き合った俺は改まった態度で告げた。
「タイピングの練習? 要はキーボード操作の練習のことですよね?」
「ああ、そうだ」
「…………」
……おい、マイPCよ、なぜそこで黙る。それに何だかあきれられてるっぽいのは俺の気のせいか?
「……失礼ですけどマスターは初めて自分のPCを所有されてからどれぐらいになられますか?」
「えっと、一番最初の相棒だったDynaBookを買ったのが二〇〇四年だから、もう七年になるか……」
「七年ですか……長いですね」
「ああ、長いな。おまえを組み上げてからでさえ、もう一年がすぎてしまった」
時が流れゆくのはあっという間だ、時間の流れには誰も逆らえやしない。七年……けっして短い時間ではない。その間に俺は少しでも変われたんだろうか。それとも本当の俺は今でもあの場所に立ち止まったままなんだろうか。答えはまだ今の俺には――。
「……あのぉ、ナルシストっぽい、自分の世界に浸っているところ申し訳ないんですがぁ、マスターは私が何を言いたいのかわかりますか?」
むむっ、人がせっかく感傷に浸っているというのに割って入るとは無粋な。
「わからないな。回りくどいのは苦手だ、単刀直入に言ってくれ」
「それじゃあ単刀直入に言わせてもらいますけど……PCを買ってから七年目にしてキーボード操作の練習を始めるのって絶対間違ってますよぉっ! 普通そういうのって買ったばかりの頃に始めるものなんじゃないですか? PC入門の初歩ですよ、初歩!」
ぐぬぬ、恥ずかしながら至極真っ当な指摘だ。
「そもそも、いったい今までPCで何をやってきたんですか?」
オウフwwいわゆるストレートな質問キタコレwww。俺が今までPCで何をやってきたか、だって? そりゃあねぇ……あれしかないじゃないのさ。
「……エロゲとか……エロゲとか……エロゲ……」
「…………ハァ……」
おい、主に向かってため息をつくな、ため息を。クソッ、バカにしやがって。
「エロゲ……ですか」
な、なんだ、その気の毒そうな声は、PCがエロゲ専用機で悪いかコノヤロウ。
「そうだ、エロゲだ。エロゲは素晴らしいぞ、人生の縮図で男のロマンだ。リリンの創った文化の極みでもある」
ここで引け目を感じてはいけないと思った俺は胸を張って言ってやった。ヘヘン、どんなもんだい。
「ハァ……私たち、本当は凄く多機能なキカイなのに……マスターにとってPCは白いネバネバを体外に排出する補助をするための装置なんですね……何だかもう、ため息しか出ませんよ、ハァ……」
おい、なんだその言いぐさは。それとオブラートに包んでるつもりかもしれんがむしろその白いネバネバって言い回しはいやらしいぞ。でもそういうのはお兄さん嫌いじゃないから許す。とはいえ、今の問題はエロゲについてだ。
「聞き捨てならんな。まあ、確かに白く濁ったドロドロを吐き出すのが主目的のエロゲも好きだし数多プレイしてきたがそればっかりじゃないやい。目からしょっぱい汁がポロポロ出たり、胸が苦しくなったり、甘酸っぱさに身もだえしたり、つい影響されてゲーテのファウストの一文を大胆に引用した呪文を口走ってしまったり、善と悪について考え込んでしまうようなエロゲだって沢山やってきたわい。エロゲをディスるとタダじゃおかんぞ」
フッ、はっきりと言ってやった。どうだまいったか。
「……でも、なんだかんだ言って所詮は性欲処理を目的としたエロいゲームですよね。あんなの現実の女性に相手にされないかわいそうな人がやるものに決まってます。精神疾患の一種、人間性の悲劇です」
か、かわいそうな人だと……! こやつめ、まだ言うか。仕方ない、体に教え込んでやる。
俺は手をワキワキさせながらPCのボディへと伸ばした。
「な、なんです、マスター。い、一体何をするつもりですか? ……い、いやぁ!や、やめてください」
ファンの排気口をふさいでやった。いかにデュアルコアが低発熱とはいえ排気口を塞がれればひとたまりもあるまい。フハハ、熱かろう。
「らめぇぇ、そんなことされたらCPUがあっつくなっちゃうのぉ。らめぇぇぇ、らめれす、ゆるしてぇぇぇ」
さっそく熱がこもり始めたようだな。オイオイ、さっきまでの威勢はどうしたんだい。ククク、こうなってしまえばかわいいものよ。
「なぁにぃ? 聞こえんなぁ」
許しを請うPCの声をあえて聞き流す。馬鹿め、エロゲと、それをやる人をディスった報いだ、悶えるがいい。
「あやまりましゅからぁッ、エロゲを見下したことあやまりましゅからぁ。手を……手をどけてくだしゃい。そうしてくれないと、わらしあつくて、あつくて、らめぇ!もう、あつくてらめなのぉぉぉ」
やれやれ、最近のPCは堪え性がなくっていかんね。情けなくって見ちゃいられないな。仕方ない、これぐらいにしておこう。慈悲深い俺は排気口から手をどけてやった。
「はぁ、はぁ、こんなことをするなんて。あなたって本当に最低の――」
何か罵倒されそうな気がした俺は、再び排気口に手を伸ばした。
「らめっ!それはめぇなのぉ!」
わかればよろしい。
――何か脱線してしまったので俺たちは最初の話に戻ることにした。
「ふぅ……ひどい目にあいました……。それでどうして今さらキーボード操作の練習を始める気になったんですか? 別に今までどおりエロゲに精を出してればよかったじゃないですか」
精を出すという表現が微妙にエロいことにツッこもうかとも思ったが、それでは話が進まないのでまじめに答える。
「理由は二つある。一つ目は、おまえも知ってのとおり、つい先日、我が家にインターネットが開通したことに関係する」
「ええ、存じております。これで私もPCとしての本領を発揮できそうですね」
「うむ、これからはケータイではなくPCでネットをすることがメインとなるだろう。そうすれば必然的にキーボードで文字を打つ機会が増える。そのための練習だ」
今まで携帯で文字を打つことに慣れすぎてしまった身として、こちらの練習は必須と言える。
「それはわかります。でも、それだけならわざわざ改まって仰られる必要はありませんよね?」
……流石に鋭いな。確かにこちらは本題ではない、俺にとって真に重要なのはこれから口にしようとしている二つ目の理由の方だ。
「それで、二つ目の理由は何です?」
PCが俺に問うた。心なしか声が真剣みを帯びてきたように感じる。
さて、じゃれ合いもここまでか。それじゃあ、決意とやらを口に出しますかねぇ……。
すうっ、と小さく深呼吸。軽く、胸の鼓動が高まっているのを自覚する。
そういえば、古来から、言葉には魂が宿ると言われてきた。いわゆる「言霊」というやつだ。一度口から発せれたそれはもはや生き物であり、おいそれと存在を抹消することはできない。
今から口にしようとしている言葉はまさにそれだ。一度この世に産み落とせば気軽に取り消すことなどできない。
……まあ、取り消すつもりはさらさらねえけどな。
よし! 俺は覚悟を決めて言った。
「小説を書こうと思う――」
ついに決意を口にした。これでもう引き返すことはできない。
「言っておくが、遊びや趣味の延長としてやろうってわけじゃない。やるからには賞を狙う、全力でな」
我ながら随分おおそれたことを言っているとは思う。だが、嘘偽りのない本気の想いだ。
「…………本気ですか?」
僅かな沈黙の後、PCは口を開いた。その声は、はっきりと真剣みを帯びていてトーンが先ほどよりも一段低い。こちらも真面目に答えなければなるまい。
「ああ、本気だ」
「それなら、ちゃんとこっちを向いて言ってください」
いつの間にか視線を逸らしてしまっていたらしい。俺はPCを真正面に見据えて言った。
「俺はやる。本気だ」
力のこもった声が出たと思う。冗談で言っているのでもなければ、思いつきで言っているわけでもない。俺の本心からの言葉だった。
「……勝算はあるんですか?」
「そんなもんねえよ、あったら苦労しないさ。でもな、勝算があるからやる、なかったらやらない。そういう生き方はクレバーかもしれないが、つまんねえとも思うんだよ。充実感が足りねえんだ」
自然と言葉が荒くなってゆく、それだけ熱が入ってきたということだ。
「現実に嫌気がさして、やけになってるわけではありませんよね?」
「わかんねえ、やけになってるのかもしれないしそうじゃないのかもしれない。ただ、一つ確かなのは俺はバカになってるってことだな」
……言ってやった。成功する自信も、根拠も無いくせに、とんでもない無茶を口にしたもんだ。だけど、そんな今の自分が最高に誇らしくて愛おしい。
だって、バカのほうが人生楽しいに決まってるからね!
『馬鹿というのは馬鹿なことをするから馬鹿なんだよ』
昔観た映画の主人公がこんなことを言っていた。
まさか、将来それを地でいくことになろうとは、その映画を観た当時の俺は夢にも思わなかったろう。
「……わたしにとって唯一の失敗とは、試みなかったこと、夢を見なかったこと、挑戦しなかったことです。真のリスクはリスクのない生活にひそんでいます」
「いい言葉じゃないか。なんだい、それは?」
「トム・ピーターズという経済学者の言葉です。他にこんな言葉もあります。『不可能だと思わない限り人間は決して敗北しない
』これはデール・カーネギーの言葉ですね」
「へぇ……そっちもいい言葉じゃないか。なんだ、俺に送る励ましの言葉ってやつかい」
「いいえ、違います。私はこれらの言葉を悪魔の囁きだと考えます」
「悪魔の囁き?」
「ええ、そうです。挑戦することの素晴らしさを、耳あたりのよい希望を声高に謳い、人を真っ当な道から踏み外させ破滅へと導く悪魔の誘い」
……なるほど、俺を諫めているってわけか。だが、ちょいと見当外れだ、何故なら俺は破滅するのを十分可能性のうちに入れているからな。望むところってやつさ。
俺は毅然とした態度で口を開いた。
「おまえの言いたいことはわかる。だが、そもそも破滅することの何がいけねえってんだよ。実のところ、成功する、しないはどうだっていいんだ。そこに至るまでにどれだけ自分を燃やし尽くせるかが重要なんだ。それにな、たぶんこれは俺だけの意思じゃないのさ。俺の頭ん中にある物語たちの意思でもあるんだ」
「物語たちの意思?」
「ああ、俺には聞こえるんだよ。『俺たちを世に送り出してくれ』、『俺たちを埋もれさせないでくれ』、そう言っているあいつらの声がな」
……まるで気ちがいの世迷い言だな。そう自嘲しながらも俺はPCに不敵な笑みを向けた。
すると、PCはしばしの沈黙の後、ふう、っと一つため息をついて言った。
「マスターは簡単に仰られますけど、それは絶対に容易いことではありませんよ。思慮深い貴方ならおわかりでしょう? 苦しいにきまってます、辛いにきまってます、あるいは絶望の淵に追いやられるかもしれない。それでもやり遂げる覚悟が本当にあるんですか?」
そんなことは重々承知していた。自分が進もうとしているのが茨の道であることはわかっている。だが、それでも……それでも、前に進まなくてはならないのだ。踏み出さなくてはならないのだ。
今日、全力を尽くさなければ、明日はやってこない。
そうだ、これは、明日を迎えるために踏み出す一歩なのだ。
……深呼吸を一つ。そして俺はその言葉を口にした。
「やってみるさ」
静かに、だけどはっきりと言った。自らの内に渦巻く全ての想いを乗せた一言だった。
――言うべきことは全て言った。堅気の道から足を踏み外すことを宣言したというのに、破滅への片道切符を車掌に渡してしまったのかもしれないのに、心はどこまでも晴れやかだった。
PCは何も答えなかった。沈黙が部屋の中を包む。
やがて、その状況に耐えかねたのか、PCは重苦しく口をひらいた。
「……マスター、私はですね、正直、貴方が好きなことなら何をしたって別にいいんです。でもですね、貴方が苦しむ姿だけは……悲しむ姿だけは見たくないんです……。私にはわかるんですよ、貴方が進もうとしている道がとっても辛い道だってことが。傷だらけになった貴方の姿なんてこれっぽっちも見たくはないんですよ……」
PCの言葉は、途中から涙まじりのものへ変っていった。そんな顔を浮かべられては正直、心が痛む。
彼女が言ってることはきっと真実だ。俺は傷だらけになるだろうし苦しむだろう。そして泣きべそをかきながら悲しむのかもしれない。
「……でもさ、その苦しみこそが生きてるってことの証なんだよ。それを俺は受け止めようと思う。惨めな姿をさらすかもしれないし情けない姿をさらすかもしれない。だけど、それは小説を書くことにかかわらず、本気で生きるのなら避けて通れないことなんだ」
いつかラジオから流れていた歌のフレーズが頭の中でリフレインする。
『歴史の渦に呑み込まれても、確かに生きた証がほしい』
生きた証……俺が求めているのはそれだ。
誰に対するものでもない、自分自身に対する生きた証。
それさえあれば、どんな結末だろうと、俺は……笑って死ねる。
「PC、おまえは見ていてくれ。俺の苦しむ姿を、悲しむ姿を、傷だらけになる姿を。俺の生きた証を見届けてくれ」
「マスター……」
俺はPCに手を伸ばすと女性の頬に触れるかのような柔らかな手つきで、その躰を優しくなでた。
「んんっ……」
PCはくすぐったそうな声を上げる。
「俺に力を貸してくれないか、お嬢さん」
俺は相棒に向かって、精一杯キザっぽく囁きかけた。
俺の相棒――俺が初めて組んだPC。
さぁ……一緒に堕落してくれるかい? 俺はPCをまっすぐ見つめながら答えを待った。
「はぁ……仕方ありませんねぇ。わかりました、私でよろしければお手伝いいたしますよ」
PCはため息まじりに答えた。だけどその口調はどこか嬉しげだった。
「ありがとう。それじゃ、改めて……よろしく」
握手代わりにPCの躰をかるくコツン、とノックする。
「はい、よろしくお願いします」
そうやって俺たちは契約を交わした。
これは始まりだ、何もかもこれからだ。
僅かに開いた窓から流れ込んだ春風がふわりと俺の頬を撫でた。
「春だな……」
「春ですね……」
そろって口にする。何かを始めるのにこれほどおあつらえむきな季節はないだろう。
ここから始めよう。この、思い出の染みついた狭い部屋から。
俺の……いや、俺たちの物語はここから始まる――。
「ボ、ボクも手伝うのです!」
ん、何だ?
後ろの棚からおもむろに声がかかった。
「小説を書くなら絶対にボクのほうが適任なのです!」
そうだ、そうだ、コイツを忘れていた。
「……マスター、誰ですか? この娘」
おい、声が怖いぞ。
「あ、ああ、この機会に紹介しておこう。コイツはだな、執筆のためにと思って新たに購入したノートPCだ」
「よろしくなのです!」
うむ、元気があってよろしい。
「……言っておきますけどマスターの相棒は、ワ タ シですから!」
こらこら、対抗心を燃やすんじゃない。まったくおとなげないなあ。あ、そういえば、PCにもう一つ言っておくことがあったんだ。
「あー、誠に申し上げにくいんだが、必然的に携帯性の関係で執筆にあたってのメイン機はノートPCになります」
「えええええーーーっ!!!」
あらら、やっぱりショックうけてら。悲しいけどこれ、現実なのよね。
「い、一緒にがんばろうって誓ったじゃないですかぁ!」
「ほ、ほら、俺言ったじゃん。見ててほしいって」
う、嘘は言ってないよ!
「……やだ、やだぁ!そんなのやだぁ!私もマスターのお手伝いするのぉ!」
今度はだだっ子かい。う〜ん、まいったなぁ。
「泣かない、泣かないなのです」
「うぅ、だってマスターがぁ……」
ええっと、なにかフォローの言葉は……。よし、これだ。
「なぁに、エロゲ諸々を含めるとメイン機はあくまでもおまえなんだからさ、そう気落ちするなよ」
努めてさわやかに言った俺は、PCを励ますように頭をポンと叩いた。
「私はエロゲ……エロゲ専用機……」
……PCの呪詛のような呟きを聞こえないふりした俺は窓を開け放った。
窓から顔を出す。肌に触れる五月の風は心地よく、草木は芽吹き、空はどこまでも青く澄んでいる。道路沿いの遅咲きの桜の木は花びらを満開に広げる準備を整えたところで、遙か遠くにはまだ白いヴェールを被ったままの山々の姿も見えた。
「春だねぇ」
俺は呟いた。
「春なのです」
併せてノートPCも呟いた。
「マスターの薄情者……」
PCも呟いた。
季節は最高に春だった。