そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

雑記、コラム「しあわせをもとめて」

「不品行だとは知っているが、そんなものを気にしていて、一生何も満たされぬまま死んだら世間は責任をとってくれるのかい? とってはくれないだろう。だから自分で納得が行くようやるしかないのさ。人間はどっちにしたって死ぬんだよ。この短い一生のなかで多少なりとも納得を得るには、何が自分の幸福なのか、恐れず試して行かなくちゃね。それこそ、ワインのテイスティングをするみたいに」

「僕の話だってとても平凡だ。実際、僕自身が平凡に生きている。あの女といれば何か見つかると思ったんだよ。人生を向上させたかったんだ。平凡な願望じゃないか。当ては外れたがね。だが悪いことをしたとは思っちゃいないよ。だって、自分の幸福を求めるのに躊躇ってちゃ、生きてる意味がないからね」

 これは、つい先日僕が読み終えた、唐辺葉介さんの「死体泥棒」に登場する台詞でして、「いやぁ、どうしてこの人は、こうも僕の喜びそうなことを書いてくるのやら」と、一人にやけていたわけです。
 言っていることは至極単純。
「何か行動を起こすのに、周りを気にしたってしょうがないよね」
 要するにただこれだけなんです。案外、ありがちな内容ですね。
 だけど、なんとなくこの言葉に引っかかりは感じませんか?
 少なくとも、社会の中で生きている方は、すんなりとは受け入れがたいんじゃないでしょうか。
 僕は、冒頭の台詞を目にした時に、以前どこかで読んだ、素晴らしき日々のレビューを思い出しました。
 そのなかに、素晴らしき日々という作品を象徴する言葉でもあり、ウィトゲンシュタインの言葉でもある、「幸福に生きよ!」という一言に対して、
「幸福に生きよ! ってのは良い言葉だけど、ひどく乱暴な言葉でもあるよね」という感想を述べた一文があったんです。
 幸福に生きよ。言い換えれば、幸福に生きる、でもありますけど、なぜこれが乱暴なのか。それは、”正しい”から。そして、”幸福”を持ち出すことで、”正しさ”を押し通すことを正当化してるからなのではないかと僕は考えます。
 冒頭の台詞って、読めば何となくわかりますけど、もの凄く自分勝手な感じがするじゃないですか。
 だけど、その自分勝手を行う理由として、”幸福になりたいから” ”満たされたいから”ってのがくっついてしまうと、行動としての正しさが生まれてしまうわけで。
 そもそも元来、幸福や満足を求める行為ってのは、大なり小なり独りよがりな側面を持つものだと思うんですよね。
 その過程で、何かしらの衝突や軋轢があれば、それがより顕著に現れるからわかりやすいんですが、独りよがりというのは、そういうかたちに限ったものだけじゃないの気がするんです。
 つい先日TVで特集をやってたんですが、宮沢賢治という有名な作家さん。学者さんが言うには、この人の目指した幸福ってのは、他者の幸福、自分以外の幸福であって、それこそが自分にとっての真の幸福だと考えたらしいんですよね。
 いやいや実に素晴らしい。
 確かに、学校の教科書なんかにもよく取り挙げられる、アメニモマケズを読むと、その辺がよくわかります。献身的で非利己的な素晴らしい方だ。
 でもね、考えていくうちにふと、この人はひょっとしたら実はもの凄く独りよがりな人なのでは、と思ったんですよ。

「けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました」

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」
銀河鉄道の夜より抜粋)

 これ、簡単に言うと、誰かの幸せのために自分の命を差し出したっていう話なんですが、こういう一線を越えちゃった他者のための自己犠牲ってのは、本質的に独りよがりと紙一重、あるいは独りよがりそのものだとは思いませんか。僕は思います。
 それか両極端だからこそ似通ってるのかもしれませんね。
 自分のことしか考えない。
 自分以外のことしか考えない。
 その核となるのは、それぞれが求める幸福のかたち。満足。押し通したい自分なりのこだわり。
 
 それで、最初の問いに戻って、なんでこういうのが胸につっかえやすいのかというと、ありがちで正しい行動原理には違いないのだけれど、それを押し通して生きていけるほど世の中ってのがシンプルじゃないから。
 以前、あるレビュアーさんが、ナルキッソスの批評において、
「この物語を僕は受け入れることが出来ない。なぜなら、僕はサラリーマンだから」
 とおっしゃられていて、思わず頷かされたんですが、つまりはそういうことなんじゃないかと思うんです。


……いかん、ここまで書いといて要領を得なくなってきた……。
 頭がこんがらがってきたのでこの辺にしておーこおっと☆
 ちなみに僕は今、電撃大賞向けに独りよがりの極致みたいな作品を書いてます。
 それなりの背景こそ用意しているものの、自己主張が強すぎる物語であることは否定しづらく、当たるも八卦当たらぬも八卦でほんと好きなように書いてますね。
 ほら、躊躇ってちゃ、物語を書いてる意味がないからね。