そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

コラム「FT86の話から、作家、ライター論、アイデンティティ論へと強引に話を広げてみたでござる。ニンニン」

 先日の話になるが、トヨタFT86がついに発売されたらしい。
 全長4240mm 全幅1775mm 全高1300mm
 2リッターの水平対向ユニットは200psを発揮し、車輌重量は1220kg
 不景気、各種規制、環境問題と、スポーツカーが下火のご時世にしては、メーカーがなかなか頑張って作った車だと思う。だが、それ以上にこの車に対して特別な感情を抱く者は多い。
 この車に付けられた名前、FT86。
 知っている方も多いだろうが、この車名はかつて存在した名車、AE86にあやかったものである。(某大ヒット漫画で豆腐屋のせがれが乗ってたあれです)
 決して飛び抜けた速さをもっていたわけはないが、シンプルな構造故の懐の深さで、素人から玄人にまで愛されたかつての名車。今回トヨタは、その名をあえて持ち出してきた。
 さて、ここからが本題だ。86の名前だけでなくイメージをも引き継ぐに当たって、必ず向き合わなければならない問題がある。
 それは、いったい何をどうすれば、その車は86たり得るのかということだ。
 かつて、トヨタにはアルテッツァという車が存在した。4ドアでこそあるものの適度なボディサイズに2リッターNAのFR。パッケージングにおいて、今回のFT86とそこまで大きな違いはない。だけど、アルテッツァは86にはなれなかったし、なることも認められなかった。
 これは一種のアインティティの問題。
 繋ぎが強引かもしれないが、今回僕はこれを作家論、ライター論にも当てはめてみようと思う。
 物語を書く側の人間にはよくわかるだろうが、誰しも一度は自分の個性について考えを巡らしてみたことがあるはずだ。
 個性は出すものではなく、隠しても滲み出るものとはよく言うが、実際問題意図的に個性を組み込んでやらないと、読む側の人にはわかってもらえないことも、決して少なくはないのではないか。
 たとえば、エロゲや小説をライター買い、あるいは作者買いしている人で、なんの前情報もなしにその作品を自分が好きなライターが書いているかどうかを判別できる人はどれだけいるだろう。
 いや、それでも嗅覚の鋭い玄人なら特定するのは容易かもしれない。だが、それがまったくの素人の場合ならどうだ。
 具体的な例をだすと、この青空に約束を――と世界で一番NGな恋とホワイトアルバム2が同じライターによって書かれたことを、作品から得る印象だけでわかってしまう人がどれだけいるのかという話だ。
 丸戸史明氏の作品が好きだという人は多いが、何がどうだからそれは丸戸作品なのかを説明できる人がどれだけいるだろう。丸戸氏が書いてるんだから、丸戸作品なんだ。という意見は正しいには正しいが、それは見方によっては、作者の名前だけが先行してやいないか。
 田中ロミオ氏の場合などは、それがさらに顕著だ。
 山田一時代と今とではまったく作風が違う。よくよく見れば同じ人間が書いたと思わせられる部分も多いが、果たして事前知識なしにそこに気づくことは可能だろうか。僕はいまいち自信がない。
 そういえば、ユメミルクスリをプレイして、「さすがロミオ作品」と頷いてる人をみたことがある。彼の認識ではどこがどうなっていればロミオ作品たり得るのだろう。一度聞いてみたい。(ユメミルクスリはあくまでも企画がロミオなだけです)
 これらの問題は、作品単体だけで見れば何も気にすることはない。
 だが、FT86が86の名を冠した以上、AE86のイメージがつきまとうのと同じで、××という作家、ライターが手がけた作品という目線で見た場合には、個性の問題と相まって必ずつきまとう問題だ。
 
 そしてこの手の問題は、持って行きかたによっては人間のアイデンティティ問題にも置き換えることが出来る。
 今の自分を自分たらしめているのは何なのか?
 器か中身か。現在この瞬間か過去の蓄積か。
 例えば、創作物でよくある記憶喪失などはアイデンティティに向き合うための格好の題材だ。
 かつてのあなたは××で××だった、と他人に言われたとする。ならば、××で××でなくなった自分は、まったく別の存在ではないのか。
 それとも器が同じならどうだっていいのか。

 結局のところ、この手の問いは結論なんかでない。
 そもそも××を××たらしめる要素が、人それぞれ違うからだ。
 FT86にしたって、パンダカラーがないから86じゃない! なんてユニークな意見を持ち出す人もいるだろう。
 だが、いったい何が××を××たらしめているのかを考えてみるのも、対象が好きなればこそ一興かな僕は思う。


※余談
 まったく関係ない話なんですけど、先日金曜ロードショーで、何度目になるかわかりませんが「紅の豚」を放送してたじゃないですか。
 あれのクライマックスの空戦シーンで空賊の親玉が「豚が雲を引いたぞ!」って言うシーンがあるんですが、あれがどういう意味なのか最近はじめて知りました。
 つまりは、空中戦で飛行機雲を出しちゃうと、相手に位置挙動がバレバレになってしまうわけなんですよ。
 だからマルコは普段から雲を出さないように意識して飛んでたんだけど、明夫に追いつめられて、なりふりかまっていられなくなった。ということらしいですね。
 うん、勉強になった。