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そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

創作論、コラム、読書「これはどげな感じの作品ですか? +なつき・フルスイング! ケツバット女、笑う夏希。というラノベを読んだ話」

 無意識だったり意識してだったりは人によって違うでしょうが、物語に触れるにあたって何かしらの心構えを用意しとくことってよくあると思うんですよ。
 たとえば、日曜夕方のちびまる子ちゃんと日曜夜の大河ドラマでは観るにあたって焦点を合わせる部分が違うじゃないですか。
 見る前に期待を寄せる部分とでも云いますかね。
 あるいは、どういう方向性の作品なのかを察するでいいかもしれません。
 これを判断するのにもっとも用いられるのが「前評判」や「事前情報」といったやつでしょう。
「これ面白いよ」
「これスゲエ泣けるぜ」
「これマジ笑えっから」
 これぐらいシンプルな一言でも、あるとないでは見る前の心構えというものがわりと変わってくるものなんです。
 少し前に、『書店員ミチルの身の上話』ってドラマをNHKでやってたんですが、これはどんなのだったかというと、つまるところサスペンスものだったんですよ。
 ただ、新番組を前知識一切なしで観はじめたのもあって、サスペンスだとはまったく思わずに観てたわけです。
 それでも、これはサスペンスなんだよ、というのをはじめのうちから前面に出してくれればわかりやすかったのですが、このドラマはそうじゃなくて、はじめ三話ぐらい、いったいどういう方向性なのか全然わかんなかったんですよね。
 仕事をばっくれたダメ女体質の主人公が、不倫相手にくっついて長崎から東京まで行ったら、職場の同僚から頼まれて偶然買っていた宝くじがまさかの一等賞だった。という導入なのですが、これ僕は宝くじの賞金にまつわるドタバタコメディか何かだと思ってましたもん。
 だけど、これがよくよく観てくと人がそれなりに死んだりするサスペンスだったわけで。
 こういうのって、やっぱり悪手なんですよ。
 面白ければいいのはたしかなんですけど、作品の方向性が早い段階でわからないと、観ててどこか据わりが悪いんです。落ち着かないとでもいうか。
 物語の途中でトーンを切り替えるタイプの作品でも、プロローグとか序盤で根底に流れるトーンを提示しておくのがわりとセオリーですし。
 ラブコメなのか、恋愛モノなのか、ミステリーなのか、サスペンスなのか、ホラーなのか、バトルなのかetc
 これを一発バシッと早い段階ではっきりさせとかないと、読む側がどこに焦点を合わせるべきなのか、どういう接し方が適切なのかわからなくて戸惑ってしまう事態に陥りやすいんです。
 というかね、僕自身が最近そういう事態に陥っちゃったんですよ。先に挙げた書店員ミチルとはまた別の作品で。
 そっちは小説なんですよ。まあ、ライトノベル
 アニメ、ドラマ、映画、ゲーム。その辺はまだ漂う雰囲気で作品の方向性を察するのがいくらか容易かったりするんです。
 語感に訴えかけてくる情報が多いですから。
 演出が一番ものを云う部分ですね
 ただ、これが活字だとちょっと厳しくなってくる。
 文章って、ものすごくダイレクトなところがある反面、ものすごく遠回しなところも多いですから。


 ここからちょいとレビューみたいな感じに、
『 なつき・フルスイング! ケツバット女、笑う夏希。』
 

 これが、僕がつい最近読んだ作品です。
 第13回の電撃大賞の銀賞作品で、作者の樹戸英斗さんはミミズクと夜の王の紅玉さんや扉の外の土橋さんと同期みたいですね。
 これがですねえ、先に述べたように方向性というかトーンをすぐには察しづらい一作だったのですよ。
 へんてこなタイトルやバットを持った見ず知らずの女にいきなり追いかけられる冒頭から、「あ、これはコメディなんだな」と思い込んで僕は読みはじめたわけです。
 ただ、そのわりには文章は硬めでカチリとしすぎてて、あんましコメディ向きの文体ではなかったんですよね。
 描写なんかもかなり上手いんですけど、やや力が入りすぎてる感があってコメディとは正直相性がよくないなぁと。
 つまり、どうも物語にノれなかった。
 甲子園を目指してたんだけど、肩を壊しちゃってピッチャーをやれなくなった元野球少年が主人公なんですが、悩みに対する向き合い方がちょっとシリアスすぎてもはやコメディのトーンではなかったりしたんです。
 でね、いっそ僕は焦点を合わせる部分を変えてみることにしました。コメディとしてではなく、シリアスな作品として読んでみようと思いまして。
 そしたら、見えてくるものが、もう全然違ってくるわけです。
「うわ、これ面白いわ」と心底思ったぐらいに。
 いかにもコメディな導入部のせいで、焦点を当てるところを間違っていたんだなと。
 ちょいと褒めますが、この作品、本当に面白かった。読んでよかった。
 夢破れ、光の届かぬ闇の中に閉じこもってしまった者たちが、前へと踏み出す小さな一歩。読後の清涼感には素晴らしいものがありました。
 いかにもラノベらしいコメディ要素やファンタジー要素もあるんですが、そっちにだけ焦点を合わせてたら僕はこの面白さを見過ごしていたかもしれません。
 あえて引き合いに出すなら、王雀孫さんのシナリオをきちんと物語として面白いと感じた人は読んで損はないと思います。
 王雀孫さんのギャグだけが好きな人は避けたほうがいいですけど。
 そういえば、王雀孫さんのシナリオもまた、どこに焦点を合わせるべきかがはっきりしているとは云い難い作風ですね。
 しっかし、見方を適切にしてやるだけでこんなに見えてくるものが変わるなんてのは新たな発見でしたわ。
 紹介ついでに、この作品のなかで非常に印象に残った台詞を抜粋。

「野球っつったら甲子園ぐらいしか思い浮かばないのかおまえは! おまえの野球が好きな気持ちはその程度なのかよ。年間百試合以上こなしてるタレントや漫画家がいるって知らないの? 素人がだよ。プロ並みの試合数をこなしてるんだよ。筋金入りの野球バカどもは、甲子園に出られなくたってプロに入れなくたって、河原にある球場とも呼べないようなグラウンドで図体のでかい大人のくせして子供みたいに白いボールを追っかけてるんだ。貴重な休日を潰して、休養どころか逆に疲労がたまるってのにバットを手放さないんだ。それほど野球が好きなんだよ」
      
 こういうアマチュアイズムの肯定ってすごく好感が持てます。
 上ばっか見てると、こういう根源的な動機をついつい忘れてってしまうんですよね。
 ――好きだからやる。楽しいからやる。
 レベルや程度の高い低いは、そこには関係ないんだってのを再認識させられた台詞でした。
 僕の応援してる近藤有己選手という格闘家の方がいらっしゃるのですが、この方は一時は文句なしのトップコンテンダーだったんですよ。それも世界的な。
 ただ、時代の流れもあって今はかなり衰えてしまった感が強いのですが、それでも変わらず格闘家をやっているわけです。
「また次の試合が出来るのがうれしい。若いころのような熱さはもうないけど、でもそこにだって心地よさがあるんですよ」
 こんなことを云いながらね。
 やっぱり楽しいんですよ、好きなことをやるのって。
 目ン玉三角にしてひたすら上を目指すのもいいけど、そもそもの楽しさを忘れちゃあいけないなと僕はつくづく思います。