そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

短編、創作「その音は、何処へ」

所属しているmixiコミュの関係で、BLを書いてみました。
臭作ならぬ習作です。

『その音は、何処へ』

 包み込むような薄明るいオレンジ色の照明が、そのときの僕をひどく感傷的な気分にさせていた――。
「相坂ユーキ、独身最後の夜に……乾杯」
 バーカウンターに置かれたままのグラスを相手にした一方的な乾杯は、ため息のようにかすかな音色を奏でただけだった。
「よせよ、マサヤ。俺は別に、明日結婚式を向かえるっていうわけでもないんだぜ。ただ、明日正式に彼女と婚約するというだけだ」
「同じさ、遅かれ速かれ、どっちにしたって行き着く先はバージンロードと決まってるんだから」
 皮肉っぽく云った僕に、ユーキははにかむみたいに口元を緩めてみせる。付き合いの長い僕でも、両手の指で数えられるほどにしか見たことがない柔らかな表情だった。
「マサヤには、そういう特別な相手はいないのか?」
「寝るだけの相手になら事欠かないけれど、特別扱いしたくなるようなのは一人もいないね。まぁ、寂しいもんさ」
 肩をすくめて、僕もユーキと同じような表情を意図的に作る。
「ユーキは変わったね。昔は、もっとムスッとした表情が絶えず顔面に張り付いていたのに。それこそ、無愛想が服を着て歩いているみたく」
「変わった、というよりは、変えられてしまったと云ったほうがいいだろうな」
 そう云って、ユーキは自然と微笑んだ。その気になれば、男前の二枚目俳優として食っていけそうな悪くない表情だったけど、僕がよくしっているユーキの印象とはあまりに違いすぎていて、わだかまりにも似た違和感をどうしてもぬぐい去れない。
「変わったのか、変えられたのかなんて、僕からすれば大差ないよ。正直に云うと、今目の前でウイスキーグラスに口をつけているユーキが別人に見える」
 僕はそっと手を伸ばし、グラスに添えられている、ユーキの左手の指先に触れてみた。
「柔らかいな……。もう、ギターはやってないんだ?」
「ああ、止めてから六年になる。指の動かし方も、だいたい忘れてしまった」
 ……六年か。
 けっして短くはないその時間は、僕とユーキが距離を置いていた時間でもある。
 ほんの一ヶ月前、あの子と並んで歩くユーキを、僕は偶然街角で見かけて。そして、六年ぶりの再会をはたし、今はこうしてバーで互いの現状を確認しあったりなんかしている。
「マサヤのほうは、調子がいいみたいだな。……ほら」
 ユーキが目線で促した先には、バーに備え付けられた大型のオーディオがあった。スピーカーから流れてくる、かき鳴らすようなギターサウンドと叫びみたいな甲高いボーカルは紛れもなく僕が奏でているものだった。
「この間、マサヤがテレビに映ってるところ観たよ。週末にやってた音楽番組、すげえ迫力だった。画面越しなのに圧倒されたな。あいつも一緒に観てたんだけどさ、俺、気がついたら自慢話をはじめてた」
「自慢話? どんなさ?」
「俺は昔、このすげえやつと同じライブハウスで張り合ってたんだぜ、ってな」
「張り合ってた、か。そうだね、的確だ」
 中二で知り合ってから大学を出るまで、僕とユーキは音楽を八年一緒にやった。にも関わらず、同じバンドで活動したことや、そろってステージに上がったことは一度もなかった。
「いい、ライバル関係だったのかもしれないね」
 話は合うし、気の合う相手でもあった。だけど、馴れあいたいと思ったことは、一度もない。それは今だって同じで、こうして親しげに言葉を交わしていたって、ユーキと心から触れあっている実感は限りなく薄い。
「……かもな。だが、古いライバル関係もいい加減解消だ。今のマサヤと俺とじゃ、立場に差がつきすぎてしまった」
「そんなことはないさ、ユーキがまた音楽をはじめさえすれば、僕なんかすぐに追い越される。あのオーディオから流れてくる曲だって変わるよ」
 実際、ユーキには僕以上にメジャーレーベルからの誘いがあった。なのに、ユーキはそれらすべてを断り、インディーズシーンにささやかな伝説だけを残して僕の前から姿を消してしまった。
「――それはない」
 ユーキがきっぱりと云う。今日飲みはじめたときから逸らしがちだった視線が、このときばかりはまっすぐ僕を見据えていた。
「ギターな、実は踏ん切りがつかなくて、捨てずに持ってたんだが、今度手放してしまおうと考えてる」
「どうしてっ!? 持っていればいいじゃないか。そうすれば、また気が向いたときにいつでも……」
「気が向くときなんて、もうやってこないさ」
 はっきりとした口調だった。後悔や未練を微塵も感じさせなかった。
「俺には、もうギターも音楽も必要なくなった。それ以上に大切なものを、俺はみつけてしまったから」
 ――大切なもの。
 ユーキの云うそれが何であるかは、考えなくったってわかる。
 あの子だ。
 僕たちより一〇歳も年下で、ギターどころか楽器なんてひとつも出来なくて、そもそも音楽自体がさっぱりで。
 だけど、誰よりもユーキのことを大切に想ってくれている優しい子。
「……そうかい。僕には、まだ音楽が必要だよ。何が楽しくてギター弾いてるのかわかんなくなるときもあるけどさ、それでも、これしかないというのだけは、はっきりわかるんだ」
 ため息のように吐き出す。本心からの言葉だった。だからこそ、自分がますますわからなくなっていくような気がした。
 さっき僕は、特別扱いしたくなるようなのなんて一人もいない、とユーキに答えた。
 だけど、あれは嘘だ。
 ユーキは、僕にとってずっと特別だった。ずっとずっと、出会ったころから。
 そして、音楽を通じてユーキと張り合うことが、僕にとって、もっとも濃密なコミュニケーションだった。そう思っていた。
 わかりあうなんて生やさしいものじゃない。
 自分の中身すべてをさらけ出し、ぶつけ合って混ざり合う。
 僕の音楽をユーキにぶつけている瞬間、ユーキの音楽が僕にぶつかってくる瞬間。
 そのときの例えようのない快感こそが、僕が音楽をやっている理由のすべて。
 ユーキが僕の前から姿を消していた六年間だって同じだった。
 たとえ、ユーキがそばにいなくたって、僕は彼にぶつけるつもりで曲を書き、ギターを奏で、彼の名を叫ぶように歌声をマイクに叩きつけてきた。
 きっといつか、僕が一方的にぶつけただけの音楽を、彼がぶつけ返してくれると信じて。
「本当に、残念だね……。僕はずっと、ユーキと張り合っていたかったよ」
 ユーキはもう音楽をやらないと云っている。それはつまり、僕とユーキが繋がることが二度とないということだ。
 なのに、それなのに、僕はまだ音楽を続けるつもりでいたりする。
「――俺の、ギタリストとして最後の夜に、乾杯」
 ガラスとガラスとがぶつかりあう乾いた音が、僕の感傷的な思考を打ち切る。バーカウンターに置いたグラスを相手に、さっき僕がやったことの逆をユーキがやっていた。
 ふいにわかった。
 本当は繋がってなんかいなくて、僕はずっと片思いをしていたのだと。
 そして、その片思いは、これからもずっと、永遠に続いていくのだろうと。     

 マンションの部屋に戻るなり、僕は灯りも点けずに棚から一番強いアルコールを引っ張り出し、グラスに注いで一気にあおった。
 バーで飲んできただけでは足りず、もっと酔っ払ってしまいたい気分だった。
「僕はいったい、ユーキとどうなりたかったんだろうな……」
 バーから出たあと、背中を向け合って、それぞれ正反対の方向へ別れ去っていく途中、僕は一度だけ足を止めて、後ろを振り向いた。
 もしかしたら、ユーキも振り向いてくれるんじゃないか。
 もしそうなったら、何か起こるんじゃないか。
 そんな淡い希望もむなしく、ユーキの後ろ姿は、ぼんやりした街の灯りの向こう側へ遠ざかっていった。
「バカヤロウ、さっさと幸せになっちまえ」
 いつから、僕たちは別々の方向を向いていたのだろう。
 そもそも、一緒の方向を向いていたときは、本当にあったのだろうか。
 もし、僕とユーキの性別が同じじゃなかったら、音楽なんかなくったって深くわかりあうことが――、
「ふふっ、それはありえないよな」
 きっと、そういうのではないのだ。
 音楽を捨てたユーキが別人に思えたように、僕が好きだったユーキには音楽が不可欠だった。
 グラスに注いだアルコールが三杯目になった辺りで、いい感じに意識がぼやけてくる。
 僕はおもむろに、机の引き出しから譜面と鉛筆を取り出す。そして、ガラス越しに差し込むいやに明るい月光の下、すでに半分まで出来上がっていたラブソングの歌詞すべてに横線を引いた。
 アーティストとしての客観的な冷静さなんていらない。今この瞬間の、混じりけの一切ない気持ちで詩を書きたかった。
 だから僕は、ひたすらに手を動かす。
 勢いのまま紡がれていく言葉は、まったく洗練されてなくて、だけど熱はやたらにこもっていて、どこまでもピュアで。
 僕がユーキに伝えたかった想いだけが、感情をダイレクトに出力しているみたく乱暴に綴られていく。
 ――ユーキ、僕はキミがたまらなく好きだった。
 音楽さえあれば他になにもいらないと、仏頂面でこぼしたキミが。
 自分自身のためだけにやっていると云いきって、無愛想に音を奏でるキミが。
 そのくせ、圧倒的な才能で大勢の聴衆を魅了していくキミが。
 僕はキミのことをわかってあげたかった。キミに僕のことをわかってほしかった。
 そのために、僕は歌い、奏で続けたんだ。
「くそっ、鉛筆じゃなくて、ペンで書けばよかった……」
 譜面が濡れてしまったせいで、文字がわずかに滲んでいた。溢れ出してきたのは、想いだけではなかった。
 かまわず譜面に鉛筆を走らせながら、僕は確信していた。
 こいつはきっと、とびっきりに良い曲になると。