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そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

雑記、私事、車「いつか、思い出の場所」

 いつになく感傷的な気持ちでこの文章を書いている。
 僕が、その知らせを目にしたのは、つい一週間前のことだった。


仙台ハイランド・レースウェイ、9月で営業終了。28年の歴史に幕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140307-00000003-rcg-moto


 この、山形と宮城の県境にある仙台ハイランドというサーキット場は、僕がかつて青春を捧げた思い出深い場所だ。
 山の地形をそのまま生かした全長4063mのレーシングコースや国内唯一のドラッグレース専用コースをはじめとして、ダートトライアルコースやカート場をも備えた、いわば東北地方の車好きにとっての聖地みたいな場所。
 特に、レーシングコースのアップダウンに富んだコースレイアウトは国内屈指の奥深さを誇る。それでいて、この規模のサーキットとしては信じられないほどリーズナブルな料金で走ることができた。
 

 僕がはじめて仙台ハイランドを訪れたのは2005年のこと。
 当時お世話になっていたチューニングショップに誘われて参加したドラッグレース競技会。
 それまで車雑紙の記事でしか知らなかった場所へ足を踏み入れるという車人生の一大事は、まだ20歳で田舎の走り屋兄ちゃんでしかなかった僕に、世界が広がっていく実感を与えてくれた。
 僕の暮らす街から仙台ハイランドまでは、片道だいたい300キロ、時間にすれば5時間かかるかどうか。
 もちろん日帰りで、お金がもったいないから高速道路なんて使わない。行きも帰りもすべて下道だ。
(あ、大曲の花火大会と走行会のスケジュールがぶつかったときだけは、渋滞よけに高速を使ったっけ)
 はじめて参加したドラッグレースは、記録自体は16秒1かそこらがベストで全然パッとしなかったけど、それでも楽しかった。
 あのときは、あの場所の雰囲気に浸っているだけで、もうほとんど満足していたんだと思う。
 どこか遠い世界の出来事としか思っていなかった車雑紙の中の世界が、僕のすぐ目の前に広がっている。
 ツンと鼻の奥を刺激する焼けたゴムの匂い。獣の咆吼じみたエキゾーストノート。ゾッとするほどの速さで駆けていくチューニングカー。
 あの場所は、日常を抜け出して足を踏み入れた非日常の空間だった。
 

 とはいえ、ドラッグレースは僕の専門ではない。
 僕が本格的に仙台ハイランドの面白さを知ったのは、レーシングコースを走るようになってからだ。
 ドラッグレース競技会の半年ぐらいあとに開かれた走行会。
 
 
 本当は地元の仲間達と行くはずだったのに、彼らは二の足を踏んでしまったようで、僕一人だけでの参加になってしまった。
(そういえば、何度か誘ったが、結局彼らは一度も仙台ハイランドまで行くことはなかった。片道300キロという物理的距離は、やはり遠く思えてしまうらしい)
 僕が最初にレーシングコースを走ったときは、タイム計測なしのフリー走行クラスだった。
 あのときの感動を忘れることはできない。
 サーキット走行自体ははじめてではなかったし、すでに車の楽しさは知っているつもりでいた。だけど、それはどちらかといえば競い合うことの楽しみで、ただ車を走らせているだけでも楽しいだなんて経験は、それまで味わったことがなかった。
 
※参考動画
  http://www.youtube.com/watch?v=W2L9Dco8fcI

 高低差の大きいコースをてっぺんまで登っていくときの高揚感、登り切ったコースを駆け下りていくときのスリリングさ。
 20分の走行枠を三本。それだけで、僕はあのコースの虜になってしまった。地元のミニサーキットなんか物足りなくって、もう満足できないようになってしまっていた。
 

 そして、2006年以降、僕はどんどん仙台ハイランドにのめり込んでいくようになる。
 はじめてタイム計測ありで走ってみたときなどは、それなりに腕は立つと信じ込んでいた自分のあまり遅さに愕然としたりもした。
 オーバーステア状態のFF車があそこまでコントロールしづらいというのも、速度域の低いサーキットばかりを走っていてはわからなかったろう。
 ムーヴやらエスティマやらシーマやら、およそスポーティーさとは縁のないように思える車でサーキットくる人もたくさんいるという事実も、僕の見識を大いに拡げてくれた
 あそこに通ったおかげで、本当に色々な学ばせてもらった気がする。
 ブレーキパッドが真っ白に焦げて使いものにならなくなってしまったり、

 向かう途中の山道で角材を踏んづけてロアアームがガタガタになったり、カラスに昼ご飯を盗まれたり、散々なこともあったけど、それでもいまにしてみれば良い思い出だ。
 一期一会という言葉を実感するような出会いもたくさんあった。
「ディーラーで一目惚れしちゃってさ。それでせっかくだし、定年後の楽しみにと思ってサーキットに来てみたんだよね」と、ラリーアート仕様の真っ赤なランエボⅥを自慢してくれたおじさん。
「俺も昔秋田に住んでてさ」と、気さくに話しかけてくれたインテRの兄ちゃん。
 ボルトオンターボのマーチで長野から自走してきたというすごいアクティブなおっちゃん。
 人だけじゃない、車との出会いだって強烈な印象を伴うものばかりだった。
 パイプフレームのR32。

 凄まじいカミナリみたいな排気音を発していたSA22C。

 
 その筋では全国的に有名なリヤラジエターのシルエイティ
 

 他にもたくさん、どれも、忘れようにも忘れられないほどの存在感を放っていた。
 

 結局、僕は当面の目標だったタイムをクリアしたことにより一つ区切りがついて、2009年を境に仙台ハイランドから足が遠のいていくようになった。
 それでも変わらず車が好きではあったし、いずれ余裕が出来たらまた仙台ハイランドにいきたいという気持ちは、車よりも創作に夢中になってるいまでも胸の奥にしまっていた。
 そうやって新たな夢を追っている中で舞い込んできたのが、冒頭で述べた仙台ハイランド閉鎖の知らせである。
 折からの経営不振に加えて震災がとどめとなって、オーナーがサーキットの所有権を手放し、代わりにメガソーラーが建設されるのだという。
 それはつまり、仙台ハイランドという場所が、この世界から完全に消え去るということを意味する。
 アクセル全開で駆け抜けたホームストレートも、正確なステアリングさばきを要求されたシケインも、ノーブレーキでダイナミックに駆け上がった上りコーナーも、アクセルワークに気を使わされたスプーンコーナーも、すべてがじきにさら地になってしまうのだ。
 時間は流れ、景色は変わっていく。
 いつか20歳だった僕は、29歳の僕になり。車でなら死んでもいいと思ってた僕は、車では死ねない僕になった。
 だけど、そうやって僕が変わっていっても、僕がかつて青春を捧げた場所は変わらずにそこにあって、ふと思い立ったときに、また足を運べば僕を歓迎してくれる。
 そう、思っていた。
 だけど、そうはいかなった。
 

 今回の知らせを受けて、一つ決めたことがある。
 今年、僕はもう一度、仙台ハイランドに走りにいく。
 これがきっと最後になるだろう。だから、別れを告げにいくようなものだ。
 車のコンディションもだけど、何より僕自身の気持ちが、走ることに夢中だったころに比べれば、ベストとはほど遠いのはわかっている。
 それでもいく。絶対にいかなくちゃならない。
 五月か、六月か、どちらにしろ暑くなる前のほうが都合が良いだろう。
 そんなことを考えていると、走るのが楽しみでしょうがない気持ちと、無事に帰ってこれるか不安な気持ちとが沸き上がってくる。
 すごく懐かしい感じがした。
 ああ、そうだった。
 あのころ、シーンと周囲が静まり返った深夜二時に、300キロ先の仙台を目指して自宅を発つ前はいつもこんなだったなぁ。