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そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

エロゲ感想「君と彼女と彼女の恋。」

 通称"ととの。"こと、君と彼女と彼女の恋。をクリアしたので感じたままを垂れ流していきます。
 未プレイの人にまったく配慮してないので注意。ちなみに美雪ルートしかクリアしてません! (キッパリ)
 

 ととの。がどんな作品だったのかに関しては、詳しく書いてくれてる人が他にたくさんいるでしょうからそちらを参考にしてもらうとして、ととの。という作品は美少女ゲームをメタ化した構造が大きなアピールポイントになってます。
 ゲーム内のキャラクターが自分が作り物であることを自覚していて、主人公を素通りしてプレイヤーである我々に画面の中から語りかけてきたりするんですよ。
 で、そのメタ構造でもって何を云わんとするのかというと、
 わたし(美少女ゲームヒロイン)があなた(主人公ではなくプレイヤー)に永遠の愛を誓ったように、あなたもわたしに永遠の愛を誓ってほしい。
 と、あるヒロインに愛を誓ったそばから別のヒロインを攻略しにいくエロゲユーザーの身勝手さを糾弾するメッセージが発せられるわけですが、これが僕にはどうもしっくりこなかった。
 云わんとしていることはわかる、わかるんです。それでも、モニターの向こう側の彼ら彼女らをただただ見守ることになれた身としては、どうも実感を持てなかったというのが正直な感想なんです。
 だってさぁ、いま世に出回っているエロゲを見渡してみてくださいよ。
 10年遡ったとしてもそうですけど、美少女ゲームの主人公=プレイヤーなんて直結できる時代はとっくの昔に通りすぎてて、我々はそれほど物語に介入できないし、主人公は固有の人格がしっかりと確立されるのが当り前になっている。
 ましてや、ニトロプラスの作品なんかは、数あるエロゲの中でも特に読み物としての傾向が強いでしょう。そういう作品ばかりをリリースしてきたメーカーが、ヒロインをあっさり乗り換えるプレイヤーの不義理を責めてみたって唐突感が否めませんって。
 ツヴァイや九郎ちゃんやロメオさんや悪鬼は、どう考えたって僕じゃないですもん。たしかに選択肢を選んでるのは僕かもしれないけど、能動的に物語を動かしていくのは彼ら自身に他なりません。
 これは萌えゲーや抜きゲーでもそうでしょう。
 滝沢司は僕じゃないし、宮小路瑞穂様だって僕じゃない。デブジさんや迅さんだって同じです。
 そりゃあ、主人公とヒロインがイチャイチャしたりエロいことしてる場面を見つめながら、主人公と自分とを置き換えるような楽しみ方をすることはありますけど、その一方で主人公の固有の人格を認めていかないことには今日日エロゲなんかプレイできません。
 ととの。だってそうですよ。
 物語の後半、美雪が「わたしが本当に好きなのはあなた」とプレイヤーに向かって告白しますが、これ間違ってます。
 美雪が好きなのは、子供時代にクラスで孤立していた自分を救ってくれた心一でしょう。
 ひたすらメタな見方をするならば、そんなのはエロゲにありがちな初期設定にすぎない。と云いきってしまえるかもしれない。
 でも僕はやっぱり違うと思うなぁ。心一を好きになったきっかけが、プレイヤーが関知できない過去にある以上、美雪が好きになるべき相手はプレイヤーじゃありませんよ。
 だったら、選択肢を選ぶプレイヤーではあるけど、主人公に自己投影しきれない僕らはいったいなんなんだろう。と考えてみて思い出したのが、昔アリスソフトから発売された守り神様というゲームです。これは、一家の守り神になったプレイヤーが、家族のみんなの人生がおかしな方向にいかないようにちょこっとだけ世界に干渉したりするゲームなんですが、今の美少女ゲームにおけるプレイヤーと主人公の関係ってこれに近いと思ってます。一家の守り神というよりは、主人公の守護霊に近いかもしれませんね。あるいはDies iraeのメルクリウスみたいなもん。
 あと、メタな視点を入れるなら、プレイヤーのほかに制作者をどう位置づけるのかの解答もうかがってみたかったです。
 こういうエロゲのメタネタって、すでに90年代末の時点でエルフが臭作でやってたというのは有名な話で、ゼロ年代エロゲーマーの僕も伝聞として知ってはいました。
 臭作は、どっからどう見てもプレイヤーが自己投影しづらい汚らしいおっさんが主人公でして、だからこそのメタネタだったと考えていて、僕としてはそっちのほうがしっくりきます。神を糾弾するためにモニターに語りかけるべきは、ヒロインよりもやっぱり主人公のほうが適役なんじゃないかなぁ。

 
 美少女ゲームへのアンチテーゼとか、そういうテーマやメッセージに囚われずに、素直に物語として見た場合の感想も少し書かせてもらうなら、主役はやっぱり美雪だったんだろうとは思います。
 ※2chのほうにとてもうなずける感想が書かれていたので引用。

『アオイ(おそらく明確に導こうとしてるのはエル)が完成させようとしてる本来のシナリオでは、
演じることに慣れすぎて肥大した人気者のペルソナに、本当の自分を抑圧されてるっていう美雪の問題を、心一が演劇の事件で解決して終わるんだけど、
(「舞台が本物で日常がニセモノだと思うようにした」みたいな心理的倒錯を示すセリフがある。
アオイに対する反発も、リアリストだからゲーム脳が許せないんじゃなくて、本当は虚構に依存してるがゆえの同族嫌悪)
一旦、本来の我の強さを取り戻した美雪が、あの世界の構造に気付いちゃったことで、ああなったんだと思う。

最初のルートで、演技の仮面や、舞台っていう虚構の世界に囚われてた自分を、
本当の日常に属する(はずの)心一が、美雪いわく「永遠の愛」の力によって救った。
ところが取り戻したと思った本物の日常が実はニセモノで、手に入れたはずの永遠の愛が失われたと悟った時、
前回の焼き直しで、もう一度、本物の愛の力によって虚構の世界の呪縛から抜け出そうっていう行動原理が生じた。
その為なら手段は選ばないってのが、美雪の本質的な我の強さ。
これはたぶん最初のバッティングセンターの場面の、美雪の打球の描写に象徴されてるように思う。
「白球は一際鋭い角度で夜空に吸い込まれて、消えた。 
四方を囲むハリボテさえも突き破って、そのまま世界の外まで届くんじゃないか、とすら思った。」ってやつ。
バッティングセンターやスイングは、人気者を演じてる美雪が唯一素の自分に戻れるときを示すキーワードだから、
解き放たれた美雪の本質が虚構の壁をぶち破って、その外側のプレイヤーのいる現実にまで手を伸ばすっていう暗示じゃないかと。

自分も他者も虚構のデータだとわかっちゃった所為で、周囲に適応する為のペルソナが完全に不要になった結果、
抑圧されてたシャドウが野放しの暴走状態になってたんだと思うが、
撲殺は、相手がしょせん復元可能なデータに過ぎないって認識の上の行為だし、あそこまでは美雪なりに理に適った止むを得ない行動だったんだと思う。
でも頭でわかってても、完全には気持ちを切り替えきれて無いから、監禁中に何度も心一を殺害させる選択肢を繰り返すと、
精神的に磨り減っていって、初めて本当に発狂寸前に追い詰められる。

なんていうか悪とか既知外とかいうより、とにかく我の強さゆえに自分と周りのキャラクターと、プレイヤーすらも巻き込んで振り回すキャラっていうか。
選ばれなかったヒロインはどうなるのかっていう問いから生まれたのが、メタ的な汎ヒロインのアオイなら、
その一つの答えとしての、じゃあどこまで擬似恋愛にリアリティを持たせられるか、どうしたら泡のように儚いエロゲキャラに命を吹き込めるかっていう主題の為に、
対極として作られた最強の個を持ったヒロインキャラが美雪なんじゃないかと感じた。

ちなみにただのアバター呼ばわりとか散々な心一だけど、一週目の演劇後に、もう人気者演じることやめちゃおっかなーって言う美雪を、
キャラ演じるくらい普通だし、ほどほどでいいじゃんって感じで諌めたりと、美雪にとってバランサー的な役割を果たしてる。
心一は心一で、選択の重みとかのテーマに関わる重要なキャラだし、
両エンド見ないとわかんない部分だけど、プレイヤーの選択で解決した一周目の美雪ルートと違って、
最終的には、友達であるアオイの協力で自分の問題を乗り越え、成長したりもする。
(まっすぐな階段を上るように毎日を生きるっていうと勤勉、実直っぽいけど、
階段だから別れ道は無いってのは、たぶんスコトマの暗喩。あるはずの選択肢が盲点になってて、見えない状態になってる。)
だから、やっぱ心一と美雪が結ばれるのが正しい結末だったんだと思う。

最初は既存のエロゲーを否定するみたいな挑発的なテーマかと思ったけど、結局、美雪ENDで話はあるべきところに落ち着いて、
アオイENDで、アップデートされたのはエロゲーの枠組みじゃなくて、
プレイヤーの意識のほうです的な広がりのあるオチをつけたんじゃないかな。

そういう意味じゃ、アオイはなんていうか、心一と美雪を結びつけたり、
プレイヤーの意識を介して、今作と他のゲームを結びつけたり、何かと何かを結ぶ役割みたいなのを負ってる感じがした。
「選ばれなかったヒロインはどうなるのか」って疑問に、選ばぬなら選ばせてみせようって答える美雪に対して、
選ばぬなら(他のゲームで)選ぶまで待とうと家康風に答えるのがアオイなのかもしれない。

呪いはゲーム的には必要だったけど、途中で美雪本人も自分がされたことに気付いてるし、
嫌なら自力で改変するなりなんなり対処できたはずじゃないかな。
心一にしてもなんか変なこと起きたな程度で、決定的な行動には直接影響してないと思う。

あそこでアオイを止めた場合の結末も、偶然に口論になってそのままおしまいって感じだし、
必然的に話を左右するってより、ライター次第な感じというか。
どのみち最初から両思いの二人の関係進展にとって、どうしても必要な要素だったというよりは、
プレイヤーに、あの選択に加担したっていう共犯者意識を植え付けて、作中に引き込む為のギミックの意味合いが大きい気がした。

監禁中、美雪から呪いによる不幸な未来を見せられても、周回で記憶を失ってる心一にはピンとこないはずだし、
あれは、あくまでプレイヤーに突きつけてるんだろう。
個人的に、呪いかけなかった場合の美雪の女優エンドは、たぶん演技のキスシーンが、本心の心一への想いより優先された結果、
「舞台が本物で日常がニセモノ」状態から抜け出せなくなって、完全に演じることに飲まれたって意味だと思ってる。
あの演劇はそういう重要な分岐点なんじゃないかと。

心一の前でだけは素に戻れるとか、心一から教えてもらったスイングに打ち込んでる時は、
「演技も、嘘も、なにひとつない。無心で、裸の私になれる」とか、(撲殺考えるとすげー皮肉)
心一との繋がりによってのみ、人気者の仮面を外すことができる美雪的には、
この関係が途切れて、スイング練習やバッティングセンター通いもやめてしまえば、
外せなくなった仮面に「裸の私」が取り込まれてしまうっていう感じ。
(ほんとなら人間って、学校や職場での顔とか、好きな相手の前での顔以外にも、
家庭での顔とか、他にもいろいろ別の側面を持ってるはずだけど、そこんとこは一切触れられないし、
無い事になってるか、学校に居る時と同じような感じってことなんだろう。)

つまり美雪は呪いがあろうとなかろうと、最初から心一と結ばれる以外、幸せになれないんだと思う。』

 思うに、人生は階段のようなもので分かれ道はない。と心一が自分に云い聞かせてたように、美雪のプレイヤーに対する告白も、世界の構造に気づいて自分の心の向く先が迷子になっていくなかで、好きという気持ちを信じ続けるために、そう思い込もうとしてただけなんだろう。
 この世界がゲームをあることを理解してしまったせいで、虚構の日常と現実の舞台との間に引かれていた線がなくなり、美雪の我はほとんど暴走といっていい状態で解き放たれた。かつて虚構と割り切っていた日常生活のなかで、唯一現実を感じさせてくれるアイテムだったバットが凶器になるのは重要なポイントだったと思う。
 あと、心一は独占欲が強いみたいな示唆が度々あったけど、美雪は遥かにそのうえをいくよね(笑)
 結局はさ、美雪も心一も、互いにもっと素直に自分の気持ちを認めて、勇気を出して一歩を踏み出していれば良かったんだよ。あれこれ理由をつけたり、肝心なところでプレイヤーに選択を委ねてしまったから話がこじれていったの。
 終盤に心一がプレイヤーに選択を迫るけど、本当に選ばないといけなかったのは、自分の気持ちに言い訳ばかりしてたきみのほうでしょうが!
 でもまあ、そういう煮えきらなかった諸々をラストシーンでしっかりまとめた終わり方をしてくれたので、物語のオチはなかなかきれいでした。
 ととの。についてすいぶんと愚痴っぽいことを書き綴ってしまいましたが、作品としては大いに楽しませてもらいました。特にメタルート突入の際の演出は凝っていて大いに引き込まれましたし、美雪の側に立って物語を振り返ってみれば、恋に臆病な少年少女たちによる青春ストーリーとしてもきれいにまとまってたと思います。
 なんだかんだで、こういう思い切ったことをやれるメーカーってニトロぐらいでしょう。