そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

コラム「孤独と無縁とメメント・モリ」

以前、TVか何かで精神科の先生が言っていた
「現代は孤独な人が増えたと思われがちだが、それは違う。厳密には孤独に耐えられない人が増えたんです」
孤独なんてものは昔からそこら中に転がっている
ただ、そのことを知らなかったり、知ってはいても何も判っていなくて、いざそれと向き合った時にどうしていいかわからなくなってしまう人が増えたということだ
本当は、今も昔も変わらず、すぐそばにあるのに見て見ぬ振りをしてしまう
一年ぐらい前、無縁社会というドキュメント番組が放映され大反響を呼んだ
孤独死という現実を見せつけられた独り者が「これは未来の自分の姿かもしれない」と、危機感を覚えたのだ
これも孤独死という現実から目を背け続けていたが故の出来事と言える
客観的にデータだけを見れば今更珍しくもなんともないはずだ
さらに過去の歴史や世界に目をむければ孤独死などというものはむしろありふれていることがよくわかる
本当はとりたてて騒ぎたてるようなことではないのだ
去年大騒ぎになったインターネットでの自殺生中継だってそうだ
日本の年間自殺者数は三万人を超える
それを知っている人間は大勢いるにも関わらず、いざ生々しい事実を眼前に突き付けられると動揺せずにはいられない
我々は死をどこか対岸の出来事と思いこんではいないだろうか
死はいつだってすぐそこにあるのに。
要は現代人は、現実に目を向けているようで、そのさらに一歩先の揺るがし難い現実からは目を背けているような気がしてならないのだ
別にそれが悪いとは思わないが、いざその現実を目にした途端に惨めったらしく慌てふためく様は正直見苦しい
孤独?死?
それがどうした
別に珍しくもなんともないだろう
むしろ、いつそれが自分の身に振り返ってもいいように腹を据えておくべきではないのか
とはいえ、かく言う俺自身、現実問題として孤独はまだしも死を身近に感じているかと問われると自信がない
今回の震災を体感してもだ
所詮俺も現代人、あやふやなリアリティの中に生きている
御歳八三になるうちの爺様のようにリアルで機銃掃射を受けた経験などない
せいぜい車遊びで危ない目にあったことがある程度だ
それでも、自分はいずれ死ぬという事実だけは常に認識しておきたいと思う
いや、死に限らず、昔からすぐ傍にあるはずの諸々全てから目を背けずに俺は生きていきたい
いざ、そういう時になってからジタバタするのは御免である