そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

雑記、私事、コラム「そういえば、11月3日は文化の日だった」

  11月の2日から4日にかけての三日ほど、僕は母方のひい婆さんの法事に出席するため、ちょいと北海道は苫小牧市まで出かけておりました。
 それで、宿泊先として叔父の家に厄介になっていたのですが、この叔父さんというのが病院勤務の薬剤師で役職付きというバリバリのホワイトカラー様なわけです。
 本日のお話は、そういう小金持ちさん一家とふれあってみて感じたことと、文化について思うことを語らせていただきましょう。
 結論から云ってしまうとですね、この国はやっぱり大衆文化の国だと思うのですよ。
 どこを見回しても一般大衆の影がちらついて、それからは逃れられない。
 経済的には一億総中流という言葉が死語になりかけてますけど、文化的にはまだまだ一億総中流ですよ。
 血筋からして違うようなガチの上流階級の方々はしりませんけど、そこそこ金を持ってるだけの人なんていうのは、なんだかんだでみなさん庶民文化の延長線上にいるんじゃないですかね。
 件の叔父さんはまさにその典型で、暮らしぶりはたしかに贅沢なんですけど、何もかもが庶民的な暮らしの延長線上でしかない。
 趣味がプロ野球観戦だったり、日々の食事がグルメ指向だったり、海外旅行にもちょくちょくいってたりと、ひとつひとつはそれなりには贅沢なんだけど、そこまで手が届かないわけでもないんです。
 というか、世間一般的に金持ち趣味、オトナの趣味と云われている遊びなんて、1,2ヶ月ぐらいしゃかりきになって働けば、誰にだって影ぐらいは踏めちゃうわけですよ。
 この不景気の時代でさえね。
 まあ、庶民には完璧に手出しできないような趣味もあるでしょうけど、今度はそこにステータス性がうまく付随してこない。
 たとえば、「趣味は乗馬とポロです」と云ったとして、「まあ、素敵」と本心から返してくれる人がいったいどれだけいるのか、という話ですよ。
 この国でステータス性を得るために必要なのは、大勢からの支持かメディアによる権威付けなわけでして、メディアなんてのは云うまでもなく大衆文化の象徴なので、どうあっても大衆文化の影響から逃れられないのです。
 つまるところ、この国の大半の人って、金持ちでも貧乏でもだいたい同じような風景を見てると思います。
 経済の格差は広がっても、文化の格差はまだまだ小さい。
 今回はそれを身をもって実感しましたね。
 たとえホワイトカラーの医局次長様でも、日本シリーズの結果に一喜一憂してる様は、そこらへんで飲んだくれているドカタのおっちゃんと大差ありませんもの。
 そりゃあ、経済的に貧しいよりは、豊かなほうが生活は楽にはなるでしょうが、愉しみが増えるかどうかはまったく別問題ですし。
 たぶん、みなさんの周りにいる富裕層の方々だって、文化を基準にして見てみると、意外なほどありふれた暮らしをしてるんじゃないですかね。