そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

アニメ感想「ゆゆ式、堪能させていただきました」

 あー、ついに終わっちゃったなぁ〜。と、ほのかに寂しさを覚えつつも、存外ケロッとした気持ちで、僕は“ゆゆ式”の最終回を視聴し終えた。
 そして心の底から思った。
 なんて! なんて素敵な作品なんだッ!!
 ええ、少しの誇張もなくそう思ってますとも。


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 今になってゆゆ式を見はじめたそもそものきっかけは、迫真情報処理部なるくっそしょうもない動画だったわけですが、それより前から日常系の極致との評判を聞き及んではいたので、いつか観たいアニメとして気になってる作品でした。
 それでいざ観はじめてみたら、まったりほのぼのしていて好印象で、「あ〜癒される〜」なんてモニターの前でニヤニヤすることしきりだったんです。
 序盤の時点で、4年前に再放送でやっていたけいおん!を観たときぐらいには楽しめていたと思います。そういえば、けいおんも何の気なしに観てたらハマっちゃったアニメでした。
 でもね、正直に言うと、はじめのうちはよくできた日常アニメ以上の感想はなかったんです。
 仲良し三人組がキャッキャッウフフする様子には癒されたけれど、それもこれも想定した範囲内の好評価に収まってました。



(一応紹介しとくと、ゆずこ=ピンク色、縁=紫色、唯=黄色)


「摂取しすぎると薬から毒になりそうなので、一日一ゆゆ式に抑えてます」みたいなことをつぶやいたのは3話を見終わった辺りでしたか。
 これも正直に言いますが、いっぺんに観たら飽きちゃいそうな予感があったんです。抑えてたというよりは、一気に観ようとまでは思えなかったというのが本音ですね。
 とはいえ、ただまったりしてるだけじゃない何か独特な雰囲気があるのはずっと感じてました。
 会話のテンポ、表情の変化、眼差しの向く先、やたら丁寧に描写されるそれらは自然なんだけど、これまで観たことのあった日常系アニメのそれと比べてどこか違和感を感じる。
 その正体は、5話を発端にして僕の中でだんだんと具体化してきます。
「唯と縁と、ゆずこ」と題された5話では、幼いころからの親友同士なのは唯と縁の二人だけで、しばらくあとから仲良くなったゆずことは積み重ねてきた思い出の量に差があることが明らかになります。
 タイトル通り読点「、」のぶんだけ詰めきれない距離があって、二人の間に入っていけないゆずこが露骨に疎外感を味わうエピソードですね。
 同時に、ゆずこのネタ振りがことごとく空ぶるエピソードでもあります。
 しりとりをしようと思いたっても、タイミングが合わないせいでぞんざいにあしらわれてしまったり。「なんで生き物は死ぬんすかねえ」と気軽には答えづらい話題を切り出しては、二人をキョトンとさせたあげく自分から話を取りさげてしまったり。振ったネタを必ずしもすんなりとは受け取ってもらえないことがはっきり示されるわけです。
 ここで僕は何か一つの解答を得たような気がしてストンと腑に落ちました。
「そうか、だから彼女たちの会話には妙な緊張感があるのか」って。
 ほら、誰かに話を振るときって、ピリピリするとまではいかなくとも、少なからず緊張するじゃないですか。
 きちんと受け取ってくれるかな。興味を持ってもらえなかったらどうしよう。退屈させちゃったら悪いな。ってね。
 ゆゆ式の登場人物たちもそうなんだと、5話目にしてようやく気づいたんです。
 なのに、なんだかんだで日常アニメ的な仲良し空間を演出できてこれたのは、そういう雰囲気を維持しようと彼女たちがコミュニケーションに気を使ってたからなんだ、と。

 「あの3人は単純な仲良しグループじゃなくて、実はお互いすごく気を使い合っているところがあるんですよね。仲良しのままでいたいということに一生懸命なんです。そこが『ゆゆ式』の特徴の一つなんだと思います」

 とのコメントが制作スタッフへのインタビューにあるように、あの雰囲気ってのは無条件に形成されてるものではなくて、三人それぞれが日常を楽しく過ごそうと意識しているからこそ出来上がってるんでしょうね。
 ゆずこが「なんか細々つっこませてごめんね〜。しんどい?」と、毎度のボケにしっかりツッコミを入れてくれる唯をさりげなく労るシーンからも、彼女らが意識してその関係の維持に務めてることがうかがえます。
 はい、特に大きな役割を担っているのはゆずこなんです。ムードーメーカーである彼女のペースが狂うことでコミュニケーションにちょっとしたズレが生じてしまう5話は、ゆゆ式という優しい作品が併せ持つ繊細さを象徴していました。

 これ以降、唯と縁と、ゆずこの間の距離が気になってしょうがなくなるわけです。そして、コミュニケーションがキーワードだと気づいたことで作品を見る角度も変わってきます。
 

 
 自然とイチャイチャできちゃう幼なじみ二人との間に越えられない壁があることを理解していながらも、ひたむきにコミュニケーションをとり続けるゆずこの健気さが愛おしくてたまらん! がんばれゆずこ!
 この自販機のシーンのギャップなんかは、ゆずこが半ば意図的にムードメーカーを演じていることを暗に示唆しているように思えます。


 
 つーか、ゆずこの背中寂しすぎだろ……。

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 同じクラスの、あいちゃんたちサブキャラ三人組が画面に登場する機会が増えてからはさらに味わいが深みを増してきます。
 

 (左から、佳、ふみ、あいちゃん)


 下の画像、あいちゃんグループに属してる佳がメイン三人組の会話に横から加わるシーン。ここ、僕のお気に入りです。

「あわわわ……」って感じに慌ててるあいちゃん。ひっこみじあんなところのある彼女からしたら、物怖じすることなくよそのグループの会話に入っていっちゃう佳の大胆さは端から見てるだけでもハラハラしてしょうがないんでしょうね。(あいちゃんが唯ちゃんLOVEすぎて普段まともに話しかけられないのも大きい)
 このサブキャラ三人組とメインの三人組は一年生のときはあまり接点がないんだけど、二年に進級してから少しずつ距離がつまってくのはちょっとリアルっぽくていいですね。
 僕も、一年のころから同じクラスだったのに、三年になるまでほとんど話す機会のなかったクラスメイトがいましたから。
 もう一つこのシーンで目にとまったのが、いきなり話しかけられてちょっとたじろぐ唯の姿。
 唯はメイン三人組の中ではツッコミ役で、パッと見気の強そうな印象をうける子ですが、その実、人付き合いが得意なほうではありません。

 普段あまり接点のない相手からふいに話しかけられたときなどは、唯だけがあきらかに身をこわばらせてるんですよ。 


 こういった描写の細やかさの他に、モニターの向こう側にいるキャラクターたちがこちら側の僕らをまったく意識しておらず、あざとさを感じなかったのも好印象でした。
 ゆずこは、あくまでも唯ちゃん縁ちゃんたちをおもしろがらせるためにギャグを披露しているのであって、視聴者を笑わせるためにやってるんじゃないんです。
 だから、彼女たちは実に生き生きとしているし、自然な表情を見せてくれるんです。
 特に笑顔が素敵でしたね。数ある日常アニメでも、キャラクターたちがこんなによく笑うのはゆゆ式ぐらいじゃないでしょうか。

 場を盛り上げるための明るい笑いと、本当におかしくて吹き出さずにいられない腹の底からの笑いとでちゃんと違いを区別できてるのも流石の丁寧さ。

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 ゆゆ式を全話見終えてから、ネット上に転がる感想を眺めていて、ふとこんな言葉が目に留まりました。

ゆゆ式を好きになる人は、人間不信の気がある」

 これ、わからなくはありません。
 人間関係やコミュニケーション、気づかいといった言葉は、創作物においてネガティブなイメージで扱われやすいですから。
 ゆゆ式で描かれるそれらをシビアに見つめてしまうと人間不信なんて言葉が口をついちゃうのもなんとなくわかるんですよ。
 たとえば、こんな言葉を目にしました。
 
・ゆずこが道化を演じてるようにしか見えなくていたたまれない。
・唯と縁は何もしなくてもずっと仲良しだけど、ゆずこはコミュニケーションをとり続けないと友達のポジションを確保できない。
・ゆずこが空気を読むのは嫌われるのが怖くてしかたがないから。


 でもね、そう暗黒面に囚われた瞳でゆゆ式を見なくてもいいんじゃないかと僕は思うんです。
 どうしてゆずこがああも一生懸命コミュニケーションをとり続けるのかというと、それは唯ちゃんのことが大好きだからでしょう。もちろん縁ちゃんのことだって好きに決まってます。
 好きな相手と一緒にいて緊張したり気を使ったりするのは、なんら不自然なことではありません。
 空気を読み、気を使い、そうやって意図して作りだされた仲良し空間だとしても、その下敷きに好意や善意があれば、そこで過ごす優しい時間は嘘じゃないと信じたいです。
 それに、ゆずこは自身が思ってるよりもずっとみんなから愛されてますよ。

 9話で、いつものごとく仲良さげに会話に華を咲かせる幼なじみ二人を前にして、「なんだよ、仲良しかよ……」と、すねたようにこぼすゆずこに、「おまえもな」と唯ちゃんがさも当り前のように言うシーン。
 10話で、ノリが空回りして疎外感を覚えるゆずこに、縁が唐突に「愛してるよ〜」と言ってあげるシーンなんかは、ゆずこが二人から愛されてることがわかって心安らぐ一コマです。
 あいちゃんからも、「もし子供が生まれたら、野々原さんみたいな子に育ってほしいな」とまで言われてますし、唯との距離が縁より近いときだって実はしょっちゅうあります。
 

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 サン=テグジュペリ著作の中にこんな言葉があります。

「世の中にはたったひとつの贅沢しかない。それは人間関係という贅沢だ」

 僕は、ゆゆ式の素晴らしさもきっとこれなんだなと思いました。
 全話を見終えて存外ケロッとしていたのも、人づきあいを肯定的にとらえてるあの子たちならこれからもきっと仲良くやってくさ、と信じられたからです。
 それぞれの仲良くしたいという意志がちゃんと実を結んでるから優しい世界が出来上がっているんです。

 エンディング曲の歌詞は、ゆゆ式の素敵な部分をよく表してくれていて気に入ってますね。

『いつもの君の笑顔が  すごく嬉しいから もっと笑わせちゃえ  そんなノリでいくよ
リズムはちょっとチグハグ 姿勢は STAY ぐだぐだ 楽観的 推奨 フワフワがいい
集まれば無意識に テンション少し高め  のんきのレベル上げて ゆるりご機嫌な  ひととき過ごしちゃおう!
ありふれた言葉でさえ 優しさ行き交って 絶妙な居場所にしてくれるね
少しズレてることでも 意外にも君には 響いていたりして  いつの間にか笑顔』
                  〜ゆゆ式エンディング曲「Affection」〜


※以下、お気に入りシーンをいくつか。

なんだよ、いいやつかよっ。

 佳→あいちゃん→唯というなんとももどかしい片思いの一方通行! そのせいで佳は唯のことをはじめのうちは快く思っていない。
 それでなくても唯ちゃんモテモテだしね。三人組の中心にいるしね。あと、クラスメイトだけどほとんど交流がないのも大きい。
 

 だけど、快く思っていなかったはずの相手に親切にされてしまい、「なんだよ、いいやつかよっ」と、どこか悔しそうする佳の姿は微笑ましいったらない。いいやつは憎めないもんね。
 たぶん佳は、自分があいちゃんに片想いしてるのを自覚してない。めちゃくちゃ気になってはいるだろうけど。思春期の男の子っぽいメンタリティの持ち主だし、しかたないね。それを理解していて佳をからかうふみも良いキャラ。


いらいら……。

 唯ちゃんLOVEなんだけど、相手にその気はないのをわかってて、普段から慎重に距離を測ってるゆずこからすれば、横から会話に入ってきて唯とスキンシップを図っちゃう佳の馴れ馴れしさはさぞ不愉快だったはず。
 真ん中のコマは、「おまえ気安いぞ」と目で語ってるのがありありと伝わってくる。たぶん、攻撃してるときもこの無表情だろう。ちょっといたずらしてやるかという顔ではない。要するに嫉妬。
 だけど、後日その馴れ馴れしさがゆずこにも向けられることで、単にそういう性格なんだというのがわかってひとりでに和解しちゃうのがゆゆ式らしいいたわりと友愛。


縁さん珍しくキレる。

 縁という子は、外見通りいつもニコニコしていて、言動もおっとりしているんだけど、そんな彼女が作中で一度だけ不快感を露わにしたことがある。

 可愛いつもりで描いたキャラクターのイラストを二人に笑われたときだ。
 可愛くないと言われることはわずかながらも想定していただろうが、まさか笑われるとは思ってもみなかったのだろう。
 おそらく、これを縁は本能的に侮辱と受け止めたんだと思う。笑わせるのは好き、笑われるのは嫌いという感覚は僕もわかる。
 そこで不快感を内に秘めずにはっきり外に出すのは、実はとても縁らしい。マイペースで裏表がない。それはつまり我が強いということでもある。



わたし、なんてことをっ……。

 夏休み、プールサイドにしゃがんでいた縁をいたずらのつもりで水に落としたゆずこ。
 だけど、そのノリは普段は唯にやってるものであって、そういうネタ振りをされたことのない縁は思わずキョトンとしちゃう。「えっ……」って感じの表情でね。
 微妙な空気が漂う中、唯からのとどめの一言がぐさりと突き刺さる。
「ひどいやつだな、おまえは」
 罪悪感に苛まれたゆずこは、とっさに自分で自分をビンタする。それが上の画像。ゆずこがんばれ。


わたしひどい

 ゆずことあいちゃんが仲良くなる前のワンシーン。
 本屋で立ち読みをするゆずこを見かけたあいちゃんは、恋敵であるゆずこと本の趣味が合うことに気づいて「ショックなようなうれしいような……」と複雑な気持ちを抱くのだが、「ショックとか、わたしすごい失礼。わたしひどい!」と、すぐさま自らを恥じる。
 負の感情を一瞬抱きながらも、それを恥じることのできるあいちゃんはとても良い子。
 僕が思うに、ゆずことあいちゃんだけは唯へのLOVEを自覚してるはず。たぶん、この二人は唯ちゃんでオナニーでしてる。(唯ニーと命名)
 縁が唯に向ける好意は限りなくLOVEに近いLIKEだろう。


誰に向けた言葉?

「おまえは、ただ愛されて生きるんだな。わたしが愛してやるぞ」
 飼い犬の散歩中もふみがこぼす意味深な独り言。