雑記、家庭菜園「まさか野菜作りにここまでハマるとは……」
僕がひょんな思いつきから家庭菜園をはじめて早1年と少々。
これが今現在自分でも思ってもみなかったほどハマってしまっているわけだが、そもそものいきさつがどういうものであったのかを忘れてしまわないうちに記しておこうと思う。
ハナから家庭菜園をやろうと考えていたわけではない。最初に思い立ったのは運動不足の解消だった。
身体を動かさないよりは動かしたほうが健康的なのは自明の理で、どうにも運動量少なめの生活を送っていた僕は、まずは月並みにジョギングやダッシュなどをはじめてみた。
これはこれで昔陸上部に所属していたころを思い出して懐かしい気分になったのだが、残念ながらすぐに飽きてしまった。
まぁ、マラソン大会に出ようというわけでもなければ、ことさらダイエットに執念を燃やしているわけでもない。
なんとなくな運動不足解消のためでは、走り続けることにいまいちモチベーションを保てなかったのだ。
「ただ走るだけってのは、どうも生産性がない……」
そう首をかしげた僕が、ふと目を向けた先にあったのが我が家の裏庭だった。
もともとはいまは亡きうちの祖父さまが畑に使っていた土地なのだが、いまとなっては野生の草花の生い茂るただの野っぱらである。
その一角を僕の親父がちょっとした家庭菜園として数年前から利用していた。
直前の出来事として、この親父、困ったことにこぢんまりとした家庭菜園ではあきらかに持てあますであろう耕耘機を考えなしに買ってきやがったのだ。
金をドブに捨てるのが嫌いな僕は、せっかく耕耘機を買ってきたのなら、家庭菜園の面積をもっと広げてはどうか? つーか、それぐらいやんないとわざわざ買った意味がねえじゃないかよバカバカッと提案したのだが、バカ親父め……なしのつぶてである。
まったくもう……と呆れていた矢先、僕の頭のなかで、自身の運動不足の解消と、せっかく買ってきた耕耘機の有効活用がちょうどよくリンクした。
「そうか! 俺が畑をやればいいんじゃん! これならただ走るよりもずっと生産的だ」
さっそく僕は、裏庭の一角に目星をつけて開墾をはじめた。
が、その前にふと考える。
畑を耕すってつまりどういうこと?
小学生のころに学校の授業で畑作業を体験したことはあったものの、あれは結局のところ先生に言われるまま動いていただけにすぎなかった。
うーん、とりあえず雑草をどうにかしないといかんよな。
そう考え、まずは鍬を振り回し表面の土ごと雑草を削り取ってみる。
次いで耕耘機を動かしてみると、固まっていた土が砕かれ攪拌されたことでフカフカになった。
おおっ、なんか畑っぽい!
そうして、OHV短気筒の耕耘機をトコトコガーガー往復させているうちに、長さ4、5メートルぐらいの畝が一本できあがった。
ついでに、見よう見まねでマルチ(畝の表面を覆っている黒いビニール)なども敷いてみる。
植える野菜はあらかじめ決めていた。
甘くて食い応えがあってなおかつ作るのが簡単といわれる“さつまいも”である。
実際、小学生のころに学校で栽培した経験もあったので難易度がそう高くないこともわかっていた。
土の準備は出来たのでホームセンターまで苗を買いにいく。
さつまいもは切り取った蔓を土に植えることで芋ができるのだ。
しかし、近場のホームセンターにはこの蔓状の苗が置いていなかった。
代わりに置いてあったのが、普通の野菜のようにビニールのポットに植えられた苗だった。
添えられていた説明文を読むと、まずはこの苗を育て、ほどよく成長したころに蔓を切り取って畑に植えていくらしい。
順調に育てば、一個のポット苗から10本以上の蔓が取れるそうな。
1個324円也。
こいつはなかなか大したコスパの良さだと感心した僕は、そのポット苗を買ってきて、作りたての畝にさっそく植えた。
が、速効で枯れましたとさ……。
(手前で葉色薄く枯れかけてるのが最初に植えた苗、奥は「こりゃいかん」と追加で買ってきた苗。失敗から学んでビニールトンネルで保温している)
植えたのは五月の頭だったのだが、北東北の春はまだまだ寒かったらしい。
さつまいもという植物は熱帯の生まれだけあって寒さにめっぽう弱いのだ。
なので、日本国内でもさつまいもの名産地というのはたいてい温かいところばかりである。(茨城とか九州とか種子島とか)
余談になるが、収量多めで生産性の良いさつまいもがじゃがいものような主食のポジションに収まれなかったのもそこに理由がある。
苗がそうなら獲れた芋もそうで、熱帯の生まれのさつまいもは、四季があり冬になると気温がグっと下がってしまう日本では保存が難しいのだ。
(僕は越冬に成功したけどね! まだ押し入れには去年収穫したさつまいもが残ってるぜ! しかし食いきれないかもしれん……)
寒さ対策として、追加で買ってきた苗ともどもビニールトンネルで保温に努める。
うち一つは鉢に植えて室内で栽培することにした。
簡単だろうと考えていただけに、出鼻をくじかれハラハラした気分だ。
が、植物というのはなかなか大したもので、夜間は室内にしまうなどして保温に努めた苗よりも、畑にそのまま植えた苗のほうがずっと成長がよかった。
6月も半分をすぎたぐらいから蔓が急成長してきたので、こいつを順次切り取ってさっそく畑に植えた。
切り取った蔓からはまだ根が生えてないので、植えても1週間ぐらいはぐったりしている。
というか、ぐったりを通り越してほとんど枯れたような状態になってしまい、このときもまたハラハラさせられてしまった。
しかし、それもまた杞憂にすぎず、ぐったりしてた蔓がググッと持ち上がってきたと思ったら……、
一月後にはこんなに元気に育ちました。
結局、あれこれ手をかけているうちに畑仕事がすっかり楽しくなってしまい、はじめは1本だけだったさつまいもの畝は3本まで増えてしまった。
こっちはさつまいもの蔓が伸びてくるまでの間に作ったトウモロコシ畑。
このころには畑の耕し方やその目的がだいたいわかってきていてので、ちゃんとスコップで畑の土をひっくり返してから耕耘機をかけた。
畑を耕す目的というのは、固まった土を砕いて柔らかくすることが一つ。そうすることで土のなかに隙間ができて酸素が入っていけるようになるのが二つ。それによって植物の根が伸びていきやすくなるのが三つである。たぶんもっとあるだろう。
トウモロコシはさつまいも以上に生育旺盛で、直径1センチもないような種から僕の背丈を超えるほど茎が高く伸びていく様には植物の力強さを実感させられた。
そして美味し。
(去年簡単に作れたもんだからすっかり慢心してしまった報いなのか、今年のトウモロコシ栽培は5月末現在苦戦中だ)
10月になって、さつまいもは収穫シーズン。
朝方冷え込んで霜が降りるやいなや、さつまいもの葉がいっせいに枯れ出して慌てましたとさ。
収量は思ってたよりもずっと多めで、結構人にあげたりしたにも関わらず、まだ余ってる始末。
なので今年は植え付け本数を減らす予定。
秋野菜は、カリフラワーとほうれん草を植えた。
カリフラワーは、どこからともなくやってくる青虫(モンシロチョウの幼虫)と格闘しながらも、そこそこ良いのが獲れたのだけど、ほうれん草は植える時期が遅すぎたせいか失敗してしまった。
それでもどうにか1食分は獲れたが。
他にキャベツとレタスも植えたのだが、こちらは大失敗。1食分も確保できなかった。
と思ったら、雪の下でしぶとく生き延びていたらしく、春になったらまた成長してきた。
と感心してたら、せっかく冬越ししたキャベツを根っこごと野ネズミに食われた!
ちくしょう、いつか殺してやる……。と復讐に燃えつつ刺客を放つ。
そんなこんなで創作と仕事の合間を縫って、去年に引き続き今年も楽しく家庭菜園をやっている。
去年は熱心に畑を耕したが、今年からは直接手を入れて土を耕すことはしないことにした。
これは不耕起栽培、または自然菜園とも呼ばれていて、人が手を加えるのではなく、野菜や野草が伸ばす根によって土を耕してもらおうという自然の力に頼った有機農法だ。
俗に雑草と呼ばれる草花もなるべく抜かない。共存を図ろうというわけだ。
その辺にある畑のほとんどは、さながら荒野のように土ばかりで草も花も余計なものはいっさい生えていない。そのなかにポツンと目的の野菜だけが寂しく生えている光景は、改めて考えてみるとどこかディストピアじみていて好きになれない。
昔、宮崎駿が、植物の多様性を人口的に奪った結果である田園風景を眺めて自然を想起するのは人間のエゴに他ならないと語っていたのを思い出す。
もっとも、僕自身そう言いながらも益よりも害のほうが大きい植物や虫は取り除いてしまっているわけだから、結局は人のエゴなのかもしれないが。
そうやって畑という狭い空間の生態系をあれこれいじくっているとき、僕はもしかしたら知らずのうちに神のような気分になっているのかもしれない。
なんだか複雑な気持ちだ……。