そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

雑記、コラム「義理の妹って」

 義理の家族といわれて、ぼくらみたいなのがパッとイメージするのは、義理の妹、次点で義理の姉あたりがポピュラーなんじゃないでしょうか。
 いきなりなんの話かと思うかもしれませんが、実は今ぼくが書いている作品のキーになるのが、主人公の義理の妹だったりするわけです。
 エロゲ脳で考えると、義理の妹なんてのは、実妹と比べてセクロスするときの背徳感は薄れちゃうのがマイナスだけど、まあ気軽にセクロスできるし、最終的にはウェディングチャペルで表だって永遠の愛を誓うことも可能なわけで、そんなに忌避するものでもないのでしょうが、これちょっと視点を変えてシリアスに考えはじめると、案外のっぴきならない不安定な状況が見えてきたりもするんですよね。
 あ、今回話の焦点にするのは、親の再婚でくっついてくる類の義理の妹じゃなく、まったくの赤の他人を引き取ったりするパターンであることをあらかじめ云っておきます。
 こういうのも物語にはよくあるパターンですね。ぼくが今書いてる娘もそうです。
 
 
 仲が良いとか悪いとかは別にしても、血の繋がりというのはある種絶対的な切っても切れない鎖だったりするじゃないですか。
 どんなに親密な他人がいたとしても、身内とは接する距離がやっぱり違いますし、そもそも繋がっている実感というのは持ちようがない。
 0と1の違い。
 0はどうしたって1にはなれない。
 それを考えるとね、家族の誰とでも血の繋がらない妹なんてのは、あれでものすごく宙ぶらりんな存在だなと。
 たしかに、世の中には血よりも濃い繋がりだってありますよ。
 だけど、血の繋がりは繋がりで、それに変わるものがないのも事実なわけで。
 

 愛の証明で一番難しいのって、愛を求めている相手に愛を示してあげることではなく、そこまで愛を求めてる風ではない相手に、きちんとあなたを愛してるんですよ、って伝えることだと思うんです。
 つまり、「わたしを愛してはいないの?」と切羽詰まった様子で云ってきた相手を、「そんなことはないさ!」と抱きしめてあげるのは非常にシンプルなんですけど、表向き切羽詰まってる風ではない相手に、きちんと愛してることを伝えるのは難しいよねって話です。
 で、何が云いたいのかというと、相手が義理の妹だったりする場合、この愛を伝えようとすること自体が、相手との繋がりが愛以外に存在しないこと、血縁という絶対的な繋がりが存在しないことを強調してしまうという罠みたくなっているというのを云いたかったのです。


 なんというか、義理の妹をオンナとして見たほうがよほどシンプルに事が運ぶんですよ。
 けれども、家族として扱った場合は、これ実はものすごく扱いがデリケートだよね、と。


 以前プレイしたエロゲ……たしかflutter of birdsだったかな、その中で妹系ヒロインが主人公に、「わたしたち本当の兄妹ならよかったのにね」的なことを云うんです。
 どういうことかというと、本当の兄妹ならもっと当たり前に一緒にいられたからという意図での発言なんですが、これまさに血縁者と非血縁者の超えられない壁ですよ。
 たとえば、三年会ってない(友人)他人と三年会ってない身内じゃ、同じなようでその実、全然距離感が違うじゃないですか。
 血の繋がらない妹なんてのは、何かの拍子に他人になってしまうかもしれない可能性を常に孕んでたりする。
 この可能性というのが1%でも存在しちゃう時点で、血の繋がりというのはやっぱり絶対的なんだなと思っちゃったりもするわけです。


 ちなみにぼくには、離れて暮らしてるあまり仲の良くない実妹が一人と、一緒に暮らしてる非常に仲の良い脳内妹が四人います。
 一番上の脳内妹はおっぱいがかなり大きいですけど、他はだいたい平均以下です。
 血は繋がっていません。みんな義理です。
 しょっちゅう一緒の布団で寝ます。
 僕に対する呼び方は、上から順に、「お兄ちゃん(控えめ)」「おにぃ(気さくに)」「お兄ちゃん(元気よく)」「にーにー(いたずらっぽい)」 こんな感じです。
 リアル妹は僕を呼び捨てにするので知りません。