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そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

コラム「肯定するといふこと」

先日、3月のライオンという漫画を紹介したが
この作品の主人公・桐山零は、生い立ちが不幸である事と学校生活でぼっちというハンデこそあるものの才能には恵まれ、外に目を向ければ人間関係も良好であり、現状を客観的に見ると、それなりに恵まれた環境にいる
しかし、あの作品を読んだ事のある方ならわかるだろうが、彼からは幸せの気配など微塵も感じず、むしろ孤独や不幸を絶えず抱えているようにしか見えない
なぜ彼の姿がそのように見えるのか以前から気になっていたのだが、ふと、目にしたネット上の指摘にその答えをみつけた
それは彼が幸せに見えないのは「自己肯定感」に欠けているからだという指摘で、俺はその論に大きく頷いてしまった
自己肯定、それは自分を認めるということ
自分は正しい
自分は間違ってはいない自分はこれで良い
そう、信じ続ける行為
平たく言うと自分を好きになりましょうということだ
件の桐山くんは生い立ちのせいもあってそれが出来なかった
だから彼は恵まれた環境にあっても幸せを享受出来ないのだろう
思えば、俺の好きな瀬戸口廉也作品においても、この自己肯定感は非常に重要な要素で、氏の作品には必ずと言っていいほど、自己肯定感に欠けた人間か自己肯定感の塊のような人間が登場する
自己肯定感に欠けた人間は不幸だと思う
いや、不幸と言うよりは幸福にはなれないと言った方が正しいか
「自分のこと好きにならんと、幸せになれへんのやで」(七烏未奏StarTRain」より抜粋)
この言葉から思うに、人生をより良く生きる為に最も重要なのは、この自己肯定感なのかもしれない
以前、SWAN SONGの柚香と わんことくらそうの祐一を取り上げて、彼らは絶望を胸に抱いているのに何故平然と生きていけるのだろうかと述べた事があったが
これも要は絶望している自分を肯定しているからこそ、ウジウジせずに開き直った人生を歩めているのだろう
そう考えると、自己否定に走るという行為は絶望や諦観よりも遥かに、良い人生をおくる為の妨げになるのかもしれない
そして自己肯定さえ出来れば、不幸でも孤独でも、そう悪くはない人生を送れるのではないだろうか
かつてウィトゲンシュタインは、世間一般的な幸福とはかけ離れた自らの人生を「良い人生だった」と言いきった
沢山苦しんで沢山迷惑をかけて、それでも良い人生だったと言いきった
やはり人は、自己を肯定せずして良い人生は送れないのだと思う