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そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

連載コラム、雑記、思い出話「ぼくと、エロゲ 第7話〜燃えゲーいいよね・2007夏〜」

 燃えゲーの話をしよう。
 燃えゲーとはなんぞや? と仰る御仁のためにかいつまんで説明をすると、やれ銃撃戦やら呪文詠唱合戦やら空中戦で∞の軌道を描く双輪懸を繰り広げたりするエロゲのことである。
 
 2007年初夏――。
 むさぼるようにエロゲをプレイしていた僕が、はじめて燃えを意識するきっかけになった作品がこれだ。

鬼哭街

 パッケージ裏には「我はこの一刀に賭ける修羅」というおよそエロゲらしからぬキャッチコピーが踊り、ジャンルのところにはサイバーパンク武侠篇とある。
(……いや、今でも思うけど、これエロゲとしてはほんと異端中の異端ですわ。こうも硬い作風なんてそうあるもんじゃありません)
 当初僕は、この燃えゲーというジャンルへの関心が薄かった。
 理由を問われば、なんとなくとしか云えないが、とにもかくにも食指が伸びなかったのである。
 タイトルだけなら、デモンベインマブラヴオルタ、Fateといったこのジャンルの大ヒット作を知ってはいたし、鬼哭街とライターを同じくするファントムをすでにプレイしたにも関わらずだ。
 なのに、鬼哭街との出会いはその認識を一変させてくれたのである。
 一言で云うならば、爽快感。
 そう、バトル展開ならではのスピーディーな爽快感が実に心地よかったのだ。
 メジャー層ウケを一切考えていない極まったシナリオ。
 ビジュアルノベルとしての完成度も、2002年の作品とは思えぬほど高かった。
 ボイスがなかったり、そもそもストーリーの尺が短めな辺りにコスト削減の跡がうかがえたが、それを踏まえても本当に見事というしかない出来だった。
 むしろ、ストーリーのコンパクトさが無駄な贅肉をそぎ落としていたのだろう。

 これを機会に、僕は、“燃え” というのもまたストーリーを追及したひとつの形であり、分けて考える必要なんかないことを思い知る。
 やれバトルだ燃えだというのは、物語を構成する要素のひとつでしかなく、結局その先にあるのは、ジャンルという括りを超えた物語なのだというのを理解したのだ。
 
 このころプレイした作品のなかでも、特に僕は“モエかん”という作品がお気に入りだった。

 本来ならば鬼哭街のようなカチリとした作品のほうが好きなはずなのに、国家に代わり世界を統括する多国籍企業、世界の構成に関わる異能力者、そしてメイドという、食い合わせが良さそうには思えない要素が混ざり合った闇鍋のようなハチャメチャさと、マクロだったりミクロだったりぶれまくってるんだけど感動的なシナリオとが織りなすカオスっぷりが妙にツボに入ったのである。
 考えてみれば、燃える展開もあれば泣ける展開も切ない展開もありで、あの当時僕がエロゲに求めていた要素がギュッと詰まっていたからこそ惹かれたのかもしれない。
 

 あとは、燃えゲーを面白いと思えた理由として、ライトノベル文化にあまり触れずに育ってきた僕にとって、単純に活字でのバトルシーンに目新しさがあったのも大きい。
 そうしてプレイするエロゲの幅はさらに広がっていき、この辺になってようやく面白そうな作品であればジャンルを気にせず食いつけるようになってくる。
 と、同時にプレイしたい作品が多すぎるという贅沢な悩みにも苛まれるようにもなるのであった。
(画像はこの時期プレイしたエロゲいくつか)


※ちなみに僕は誰彼をヤフオクにて上記の値段の10倍で買っちゃいましたよ。なんてこったい。
 それと、久しぶりに鬼哭街をプレイしてみて思いましたが、テキストと台詞回しが非の打ち所がないぐらいに作風とマッチしていますねぇ。
 やっぱり、あの人はセンスありますよ。
 ただ、あくまでもエンタメに徹していたのが、あの時代では軽く見られていた一因だったのかもしれません。