読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

連載コラム、雑記、思い出話「ぼくと、エロゲ 第17話〜得難き出会い・2008冬〜」

『自分の読みたい物語を、己で書くってのは、すごく苦しいけど、本当に辛くて投げ出したくなるけど……やっぱり楽しいよ。
 皆さんもぜひ、チャレンジしてみてください。
 感動した、とか、納得いかん、とか、物語を読むたびに感じる様々な気持ちに突き動かされて、才能が無いにもかかわらず僕は物書きを目指しました。
 独りで新たな世界を築くのは心底しんどくて、俺は何故、好き好んでこんな苦行を続けているんだ、と自問自答する瞬間も多々あります。
 でも、自分の読みたいストーリーを誰かに書いてくれ、というのは、やっぱり甘えだよね。
(中略)
 短編でも長編でも、ネットでも携帯でも、詩でも絵でも小説でも、プロでもアマでも、上手でも下手でもいいんです。いつか、お互い何かを創る者として、皆様と語れる日を楽しみにしています。』

 
 ……この言葉と出会っていなければ、おそらく僕は、創作の道に足を踏み出しはしなかったろう。
 その作品を知ったきっかけは、些細だった。
 僕にとって毎度の情報源、2chのエロゲ板。
 ミリタリー、それも戦闘機を題材にした美少女ゲームがあるとの情報を得たのは、まだ2007年のことだ。
 僕はミリタリー関連がもともと好きで、ちょうどエロゲも好きになったばかりで、二つの趣味を兼ねることができるその作品が気になるのは、とても自然ななりゆきだった。

群青の空を越えて−GLAS AUSZEICHNUNG−



 エロゲでミリタリーもの。
 組み合わせだけ一見すればキワモノに思えるが、オタク界隈の歴史を顧みれば美少女とミリタリーはむしろ相性が良いことがわかるだろう。
 だから、僕はこの群青の空を越えてという作品に、そこまで特別の期待を寄せていたわけではなかった。
 胸が熱くなるドンパチと、その合間の女の子とのイチャイチャを楽しめればいいかな、ぐらいにしか思っていなかった。
 ……だが、まさか、あれほど得難い出会いになるとは。


 強く心に残る作品とは、ただ出来が良くて面白ければいいというものではない。触れたことによって自分の世界が広がったことを実感できる作品こそ、忘れられない思い出になって心に残り続ける。
 僕にとってはそうだった。
 群青の空を越えて……いや、早狩武志さんの作品との出会いは、僕の世界を広げてくれた。僕がどんな物語が好きなのかを気づかせてくれた。



 
 云ってしまえば、ミリタリーものというジャンルに限定しても、群青の空を越えてよりエンタメ的な面白さで秀でた作品はたくさんある。
 だが、それでも、僕にとってこの作品は別格なのだ。
 あらすじとして見た場合、この作品はそこまで特徴的というわけではない。
 関東と関西という対立構図による日本国内を舞台にした内戦という設定はユニークではあるが、類似の作品がまったくないわけでもないし、状況が二転三転するような目まぐるしい展開が用意されているわけではない。
 戦争をシビアに扱った作品によくあるように、登場人物たちは時代の荒波に翻弄され流されてゆくばかりだ。
 しかし、荒波に翻弄される登場人物の一人一人にピントを合わせたとき、群青の空を越えては、この作品にしかない輝きを放ちはじめる。

 

『世界は、君が生まれた瞬間に生じて、君が死んだ時に終わる』

 群青の空を越えての作中で綴られる一節だ。
 戦争という大きな流れの中では、人ひとりが認識できる世界はちっぽけかもしれない。
 それでも、その人にとってはそれが世界のすべてだ。
 僕がこの作品から、これまで触れてきたミリタリーものにはなかった新鮮味を感じたのは、ひたすら登場人物たちの目を通して物語を見つめること、個人を描くことを徹底していたからだろう。
 いわゆるミクロの視点に終始していたのだ。



 

 もともとエロゲにはミクロ型のシナリオが多い。
 世界の運命を背負うよりも、世界のどこか片隅で繰り広げられるなんでもないラブストーリーのほうが主流だ。
 早狩武志さんの手がけるシナリオも、また例に漏れずそういったこぢんまりとしたスケールに収まることが多い。
 だけど、そこにあえて戦争という強烈にマクロを意識させられる設定を用意したのが群青の空を越えての魅力だった。
 ありふれた登場人物たちを、ありふれてない状況に置く。
 ありふれたという形容詞が正しくしっくりくるようなシナリオを持ち味にする早狩さんだからこそ、ただの仮想戦記とは一味違う作品を作れたのだと思う。


 そうして、群青の空を越えてをきっかけに早狩武志さんを知った僕は、他の作品にも手を出していった。
 早狩武志というシナリオライターの存在をはっきり意識するようになったのは、群青の少しあとに、『僕と、僕らの夏』をプレイしてからだろう。
 空想の中にしか存在しない夏ではなく、記憶の中にあるノスタルジックな夏の情景を思い出さずにはいられないこの作品は、これほどまでにありふれたストーリーはないんじゃないかと思うぐらいにありふれていた。
 ここで云う“ありふれた”とは、美少女ゲームのストーリーとしてテンプレートじみているという意味合いではなく、この世の中で起こっているだろう出来事の中でなんら特別ではない、という意味合いでの“ありふれた”である。
 少年期を過ごした村が、ダムに工事によっていよいよ水の中に沈むと知り、数年ぶりに帰郷した主人公が、再会した幼なじみとの恋に悩む。
 僕と、僕らの夏は、云ってしまえばただこれだけの話だ。奇跡とも冒険とも、また悲劇とも縁がない。
 しかし、等身大の登場人物たちの目を通して物語をまっすぐに見つめたとき、ありふれたはずの物語が、あまりにありふれているからこそ、他の作品にはない存在感を生む。
 ありふれた等身大の登場人物たちが、ありふれた恋に思い悩む姿。そんなものを見せつけられて、僕は感情移入せずにはいられなかった。
 哲学的な作品によくある、人間性の深みに切り込むことで強い共感を呼び起こすタイプとはまったく違う、たしかに表層的ではあるんだけど、もっとも実生活と結びついた部分での共感を覚えずにはいられなかったのだ。
 はっきり云ってしまえば、早狩氏の作品は、高尚さとはあまり縁がない。
 登場人物たちがたまに小難しいことを考えてみることはあっても、アプローチの仕方がとにかく地に足が着いているのだ。

(っていうか、この人の描くキャラって妙に生活感があって、デフォルメされた可愛さとは真逆をいってるんだよね。立ち上がるのもおっくうなぐらいベコベコにへこんで落ち込んでるんだけど、尿意には勝てないのでトイレにはやっぱりいきます。みたいなかっこ悪さが親近感を生むわけでさ)
 

 と、ここからいきなり口調を崩しますけど、この早狩武志さんって、語って凄さが伝わるタイプのライターさんじゃないんですよね。
 むしろ、凄いか凄くないかで云ってたら、凄くない物語ばかり書いてる。だからこその良さがある。そういうタイプだと思ってます。
 だから、繰り返しになっちゃうけど、登場人物たちが抱える悩みなんて、他のスケールがおっきい作品に比べたらちっぽけもちっぽけなの。
 恋だとか面子だとか嫉妬だとか将来だとか。
 まぁ、ときには国家の運命だとか、命についてシリアスに考えてみたりもするんだけど、それにしたって、人ひとりの想像力が及ぶ範疇に留まることがほとんどです。


 
 だから、だからこそいいんですよ。
 考え方が飛躍してないから、よくわかるんです。
 登場人物たちを気に入るにしろ気に入らないにしろ、どう気に入って、どう気に入らなかったのかがはっきりしやすいんです。
 フィクションなんだけど、物語の中の彼らがすごく身近に感じるわけだ。
 あと、ここまで、“登場人物たち”と複数形にしてるのは、早狩武志さんが複数の視点からひとつの出来事を見つめるスタイルで書くことが多いからなんです。つまり群像劇ですね。
 ありふれた恋愛話でも、いや、ありふれた恋愛話だからこそ、見えてくるのも、考えていることが、人によって全然違ってきます。
 望むものが手に入った人の陰には、手に入らなかった人だっているかもしれないというのをしっかり描いてくれるところも、僕はずっと気に入ってます。
 そういう作品の楽しみかたとして、プレイヤーたる自分が、いったいどの登場人物にもっとも共感するのか考えてみるというのもあるんですよね。
 すると、僕なんかは、ハッピーエンドを迎える主人公よりも、その陰で打ちひしがれる脇役に感情移入してしまったりもするんですけど。(笑)

 ここまで早狩武志作品について書いてみましたけど、やっぱり全然上手には語れてませんね。
 結局は、諸々をひっくるめて、「僕の感性にしっくりきた」で片付いちゃう話ではあります。
 早狩武志作品の登場人物たちって面倒くさい性格が多いけど、僕もまた性格が面倒くさいほうだし。
 なんと云いますか、この人の作品って大のお気に入りではあるんだけど、熱っぽく語るのは似合わないとも思ってるんです。
 ものすごいカタルシスを味わえるわけじゃなくて、読み終えたあとに、ふっと心地の良い脱力感を味わったりとか、肩の力が抜ける感じの作品じゃないかなぁ、と。
 けど、群青やナルキッソス3のメサイアは、ちょっと重ったるい脱力感だしなぁ。
 何にしろ、力が抜けるような感じというのがキーなんだろうか。それと、ほろ苦さと喪失感、お祭りの夜が終わって、靄の中を朝日が昇ってくる感じですかね。
 

 ああ、そういえば、早狩さんのシナリオって、何かが終わるんだけど、また新たな何かがはじまる、という風に再びスタート地点に立つところで終わることが多いんだよな。
 

 
 最後に、『潮風の消える海に』のエンディング曲『セイリング』から、なんかすごく早狩武志作品らしいな、と思った一節を抜粋して締めくくりましょう。

『例えば誰かと出会うこと 誰かを愛すること それだけで 少しはこの人生も悪くないって思えることを知った』

 “素晴らしい”ではなく、“悪くない”なのがらしいです。