そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

雑記、回顧「2013年を振り返ってみて前編・読んで印象深かった漫画編」

 はっぴいにゅうにゃあ〜2014。
 ということで、年も明けたことだし自分にとっての2013年をざっと振り返ってみようと思う。
 とりあえず、2013年に読んだもの観たものプレイしたものの中から、何かしら印象に残るところのあった作品をピックアップしていきます。
 当然ながら、フレッシュさ? 何それ? な最新情報とは縁がない我が道を行くラインナップになっておりますので、そこんところよろしく。
 
 

 2013・印象に残った漫画

・C1ランナー /楠みちはる
「ねえ、オジサン、クルマってそんなに面白いんすか?」

 僕が中学校のころから買い続けていた湾岸ミッドナイトの続編でもあり、完結編でもあります。
 湾岸ミッドナイトという漫画は、ひたすらストイックで肩肘張りまくっていた前期と、思索の深みにどんどん沈んでいった後期とで少々ノリが違うんですが、このC1ランナーは、そこら辺のバランスがちょうどいいんですよ。
 やりたいこと、好きなことははっきりしてるんだけど、その先って何が待ってんのかなー、とおぼろげな不安を抱いてしまったときに読みたい一作です。
 フィクションだとしても、主人公たちの世界観と世の中とが地続きなことをきちんと意識させられる世界観って親近感が湧きます。


・DRAGON QUEST -ダイの大冒険- /三条陸(原作)稲田浩司(作画)
 これぞ少年漫画! ドラクエ原作を代表する一作。
 
 十数年ぶりに読みました。
 この手の昔リアルタイムで読んでました系の作品って、意外ときっちり全編読んではいなくて、ところどころ読み逃してたりするんですよね。そういうのもあって再読。
 いや、たしかに面白い。
 それと、読み返して軽く驚いたのは、こんなに毎度毎度全力投球をしているような作品だとは思っていなかった。
 やたら窮地に陥る場面が多いし、やたら死闘となることも多い。
 だから、ある意味では疲れる漫画なんだけれど、それは云い換えれば熱いってことでもある。
 あと、キャラの立たせ方がすごくいいね。
 どうでもいいキャラがほとんどいないもん。よくワニのおっさんが噛ませキャラだとネタにされるけど、実際はそうでもない。
 ーティー戦闘をちゃんと意識していてドラクエらしさを忘れてないのもえらい。


ハイスコアガール / 押切蓮介
 90年代を舞台にしたゲーム大好き少年の青春ストーリー。
 
 つい最近、アニメ化が決まったみたいですね。
 こういうノスタルジーを駆り立てる系の作品って好きなんですよ。
 これは僕が単に、ハイスコアガールのメインターゲット層であるところの90年代育ちだからというだけではなく、過ぎ去ってしまった時代への憧憬が根底があるからだと自己分析してます。
 だから、別に70年代でも80年代でもいいんですよ。
 そういう懐かしむような気持ちに触れるのが好きなんだと思います。
 メインディッシュになっているゲームという題材もですが、味付けとなっている思春期ならではの甘酸っぱくてもどかしい恋愛模様もまたノスタルジックな味わいですし。


ドリフターズ /平野耕太
 そうだいいこと思いついた。歴史上の英雄を異世界に集めて戦わせよう。
 
 面白い面白いという評判があちこちから聞こえていたので読んでみたら本当に面白かった!
 こういう面白いそうなものを全部詰め込んじゃう闇鍋みたいな作品って大好き。
 歴史上の英雄を呼び出して戦わせるにしたって、普通はバランスのとれたマッチメイクを心がけるよ。
 だけど、そこら辺をハナから投げすててるのがこの作品の魅力。
 エースパイロットの菅野直とローマ軍のスピキオが顔を合せるとかマジカオス。
 知略担当と戦闘担当をちゃんと分けてるのも痒いところに手が届いてて○。


・ナポレオン獅子の時代 /長谷川哲也
 フランス革命。それは人々の理想が巻き起こした吹き荒れる熱い風。
 
 僕、基本的に歴史ものが好きなんですよ。
 それで、歴史ものの醍醐味を一番味わえるのって、世の中が揺れ動いた激動の時代だと思ってるんです。
 だから、2013年の大河ドラマでやってた八重の桜もかなり楽しんで観てました。
 この漫画の舞台は革命たけなわな18世紀末のフランスで、まさに世の中が揺れ動きまくってた時代です。
 みんなもう大マジなわけです。理想、野心、欲望、様々な情念がぶつかりあって反発しあってドロドロに混ざりあって溶けていく。そういうとびきりに濃い作品でした。
 ロベスピエールが最後に遺す言葉とか本当に印象深いですよ。
「革命は潰えた
 だが、一度動き始めた人々の歩みは止まらない
 支配と自由の戦いが続く限り 私は何度でも現われる
 いつかきっと、私たちがどんなに渇望しても手に入れられなかった自由と平等を、皆が当然のごとく生まれながらに持つ世界がくる
 そのとき彼らは私たちの苦しみを理解するだろうか
 私たちを社会の礎でなく、敵か味方もわからず殺し合った狂人と思うかもしれない
 金持ちが貧困を理解しないように
 それでも、私は後悔しない」


虹色のトロツキー /安彦良和
 第二次大戦前夜、蜃気楼の国家・満州国で青年は虹を追う。
 
 何の気なしに読みはじめたら、これが面白いのなんの。
 満州国という、かつて大陸に存在した幻の国を舞台にした歴史ロマンです。
 キャラも背景も描写はしっかりしてるんですけど、どこか着地点が見えてこなくてふわふわ浮いてる感じの作品だったんですが、これ、きっと主人公も同じ心地なんですよね。
 虹っていうのは、いくら追いかけても永遠に追いつけないものじゃないですか。
 そうしてかけずり回っているうちに、時代の波が怒濤のごとく主人公たちを飲み込んでいってしまう。
 その辺がもう圧巻で、ストーリー以上の迫力がありました。


最強伝説黒沢 /福本
 闘わなきゃ……尊厳のために!
 
 これもダイの大冒険と同じで読み返した系です。
 立ち読みで目を通してたころは、「アジフライwwww」「休めww休めwwwww」みたいに、真面目に読んではいなかったんですが、改めて読んでみるとひとつひとつの言葉がやけに突き刺さってしかたがありませんでした。
 主人公の黒沢が闘っている相手はいったいなんなのか。
 これについて考えてみたとき、この作品を見る目は一変します。
 胸を張ることの大切さ。
 こんな時代だからこそ読みたい作品です。
 
 
・宮本から君へ
・キーチ!!
・キーチVS
ザ・ワールド・イズ・マイン
・Sugar
・RIN / 新井英樹

 もはや語り出すとキリがないですから簡潔に。
 新井英樹すごい。とてもすごい。
 特にキーチVSなんか、読んでて体が震えてしまった。たかが漫画なのに読んでて立ち上がってしまった。
 そういうピュアな部分が自分にまだ残ってるとは思いもしなかった。
 やっぱさ、とんでもなく強大な何かと戦うからこそヒーローなんだよね。カッコイイのは勝ち姿じゃなく、ぶつかっていく姿勢なんだよね。
 力があるから戦ってみるんじゃなく、力がなくったって戦わなきゃいけないから戦う。
 ヒーローになる資格はみんなにある。
 まずは自分から頑張らないと。
 キーチVSの作中で小学生が云う台詞が耳に痛いです。
「カリスマ、ヒーロー、リーダーは、希望や期待を抱かせますが、人を怠けさせます。人から考えるという義務と責任を奪います。大人になっても、義務も責任も負わない人たちが、できるだけ楽に今の損得だけで造っているのが世の中、現実ですよね」
 あと、表紙のインパクトもすげえ

ニニンがシノブ伝
・忠犬ディディー
・ゲノム
・新ゲノム/ 古賀亮一

 あ、この作者天才だ。この作者天才だ。
 こうもどえらいハイテンションギャグをよくもまあポンポン描けるな、と心の底から感服しましたとも。
 おそらくは気分が高揚して頭もキンキンに冴えて神が降りてくる違法薬物を摂取してるに違いない。 何ッ!? 原材料は美女の浸かった湯船の残り湯だと!? 本当なのかおいそれを俺にもよこせ! よこせ! せめて一口分ぐらいはスプーンにすくって舐めらせろ! おおどれどれ、うわなんだこれ舌がピリピリって、それ味の素じゃねえか! ふざけんな! もういい俺は部屋に帰って寝る! グヘヘ、高貴な家に生まれたプライドの高い女騎士を学園のフェンシングの試合で完全に負かし、愕然としているところに俺様が颯爽と手を差しのべて「貴様の勝ちだ……好きにしろ……」とか瞳をそらしがちに云わせちゃう夢をみてやるぞ!

   

・YOUR DOG /関谷あさみ
 彼も、彼女も、どうしようもなく乾いていたんだと思う――。
 
 田中ユタカさんにハマって以来、成年向けマンガも良さげなのがあったら、たまにチェックするようにしてたんですが、これは大当たり。
 繊細さ……いや、繊細に描こうという意思が作風にはっきり表れているのがとても好印象でした。
 心がどうしようもなく渇いて、いっそ傷つくなり汚れてしまうなりしてしまえばいいって、どこか投げやりな気持ちになるときってあるんですよ。
 実際は、刹那の衝動に任せたって何も変わんないんでしょうけど、そこにちょっと灰色なロマンスを挟んでみたのがこの作品でした。
 お互いに乾いていたからこそ物語が動き出す。そうやって、傷口がかさぶたを経て少しずつ治っていくようなお話です。


・女の子×女の子コレクション /ロクロイチ
 
 2chのなんかのスレに張られていた画像に惹かれて読んでみました。
 これも成年コミックで、さらには百合です。
 今時の二次元イラストとはまったく別タイプの線の細い絵柄も印象的だったんですが、それ以上に好感触だったのがキャラクターの所作から滲み出るかわいらしさでした。
 心情の起伏、表情の変化、ちょっとした仕草。
 露骨に媚びた感じのするかわいいではなく、ひとつひとつの所作が積み重なった上でじんわりと伝わってくる女の子ならではのかわいらしさ。
 こういうのを丁寧と云うのでしょう。


・俺はまだ本気を出していないだけ /青野春秋
 「見つけちゃったよね。俺の生き方っつーもんを」

 人類は衰退しました。のコミカライズが決まったときに、その記事の横で紹介されていたのがこの作品でした。
 けど、インパクトのあるタイトルが頭に残っていただけで、そのときは結局読まなかったんです。
 それから数年、映画化されたことをCMで知ったこともあり、読んでみたらこれがなかなかイイ。
 ダメ中年の主人公が思い立ったように夢を追いかけはじめるストーリーなんですが、闇の中を手探りで突き進んでいく中にも不思議と明るさや面白おかしさがあったりして、読み終えてみるとほんのり心が温まっている自分がいました。

 
 以上、今年読んだ漫画の中から、印象深かったものをピックアップしてみました。
 小説・ラノベ、映画、アニメ、エロゲ編に続く……

連載コラム、雑記、思い出話「ぼくと、エロゲ 第15話〜人と妖と人妖の、百鬼夜行にいざ参らん・2008冬〜」

 僕は子供のころ、SaGaというゲームボーイのRPGが大好きでした。(特に2)
 この作品には他のRPGと比べて一風変わったところがあって、そこが大のお気に入りだったんです。
 

 世界観の大ざっぱさとでも云えばいいのでしょうか。
 ロングソードやバトルアックスといったRPG定番のファンタジー装備があり、ファイヤやブリザド、サンダーといったスクウェアおなじみの魔法がある。
 これで充分に世界観のバランスはとれているのに、このSaGaというシリーズには、あえてそれを崩してしまうアイテムが当たり前のように用意されていました。

デリンジャー
サイコガン
かそくそうち
レオパルド2
かくばくだん

 これ、全部SaGaに登場するアイテムです。
 剣、魔法に混じって銃や兵器類があるんですぜ。
 この違和感バリバリな世界観がね、今に至る僕の嗜好に影響を与えてしまったのは間違いありません。
 単に銃や兵器に魅力を感じたのではなく、剣や魔法に混じって存在していたからこそ、そのアンバランスさに惹きつけられたんですよ
 こういうごちゃ混ぜなのって最高にカオスでクールじゃないですか。
 具とスープでバランスよく成り立ってるところに、謎の化学調味料を無理やりぶち込む感覚。
 で、今回のコラムに登場する作品『あやかしびと』も、僕のそういった琴線に触れまくった作品です。
 
http://www.youtube.com/watch?v=FMleYGQcNQE

 この作品も具とスープでバランスがとれているところに化学調味料を混ぜ混ぜしちゃってるんですよ。
 あやかしびとは、妖怪を題材にした異能バトルものでして、大妖怪・九尾の狐の末裔であるメインヒロインと、幼なじみである彼女を守るため行動を共にする主人公、そして、過去の因縁から彼らの命をつけ狙う悪の大妖怪……という非常にシンプルでわかりやすい対立構造がストーリの基本骨格になっています。
 

 登場人物の八割以上が妖怪の血を引いており、何らかの特殊能力やら特殊体質を持ち合わせていて、これを用いてバトルを繰り広げるわけですね。
 そんな、一見バランスのとれた作品をグチャグチャにかき混ぜちゃう一番のトリックスターは何なのかというと、↓の画像に表示した人相の悪いおっさんなんですよ。

 このキャラクターは、かつて主人公に武術を教えた師匠なんですが、この濃いおっさん、メインストーリーであるところの妖怪同士の対立なんかどこ吹く風で、まったく別の物語軸で行動してまして……。
 

 もう個性が強すぎて、この九鬼先生というキャラクターがいないとあやかしびとじゃないってぐらいの人気キャラではあるんですが、物語全体のバランスを考えた場合には異物以外の何者でもない。
 というか、作品の基本線が妖怪の能力を生かした異能バトルなのに、このおっさんだけ生身の人間で、我流拳法と鋼の肉体をメインウェポンに殴る蹴る突くときどき傘で暴れまわるんですから、そりゃあ異様な存在感ありますってば。
 それも、ただ存在感があるだけななく、トリックスターのくせしてストーリーにも強引に関わってきますし。
 それと、エロゲですからヒロインの人数分だけストーリー分岐があるんですが、どのルートで展開されるストーリーも、緩急を度外視したとしか思えない全力投球でして、それぞれ独自性を持たせて、なおかつ精一杯盛り上げているもんだから全体のまとまりとして見たらかなり歪。この辺もカオスさを感じさせる要因の一つになってます。
 悪の大妖怪との因縁とかそっちのけで、ロシアの特殊部隊とガチンコやっちゃったりするのなんて序の口です。
 

 だけど、このカオスさがまたとっても愉快で面白いの。
 ジャンクな味わいなんだけど、面白そうなことは全部やってやろうという思い切りの良さが気持ちいい。
 あやかしびと以前にプレイしてきた燃えゲーと呼ばれるジャンルのエロゲの中にも、世界観のバランスをちょっとおかしくしてるキャラなり展開なりはありました。

 徒手空拳で魔術師をボコる執事だとか、

 
 化け猫に食われると思いきや、単分子ワイヤーで切り刻んじゃう企業勤めのおっさんとか。

 でも、基本そういうのは前に出しすぎると話や設定がおかしくなっちゃうので、どこかで一線を引くのが普通なんです。
 しかし、そこをあやしびとは一線を引かずに、どんどん前に押し出してくる。だから、当然のようにカオスにはなるんだけど、強烈な個性にもなっている。
 もし、バランスを考えて一線を引いちゃっているような作品だったら、僕はこの『あやしびと』を、そこまで好きになってはいなかったでしょう。


※あやしびとのライターを務めた東出祐一郎さんは、この後にバレットバトラーズという作品をリリースするんですが、そちらは角が削れて設定やストーリーのまとまりがずいぶん良くなった反面、あやかしびとに感じた滾るような熱量はなくなっていました。
 その次のエヴォリミットでは、ごちゃ混ぜ感だけは戻ってきたものの、どこか荒削りな部分ばかりが目立って、悪い意味でまとまりを欠いていたように思えます。
 それ以後の東出さんの作品を僕は未プレイなので、とやかくは云えないのですが、あやしびとの続編が出ると聞き、あのころの勢いが戻ってくればいいなとは願ってますね。


 ……と、ここまで書いて、もう一つ思い当たったことがあった。
 この作品、ほとんどすべてと云っていいぐらいに登場人物たちが個性的でキャラも立ってるんです。
 


 とにかく印象に残るし、ごく一部の憎まれ役を除いては、敵対する側にすら妙な親近感が湧いたりもする。
 客観的に見てくと、キャラ造形や配置が特別巧みというわけではないんですけれど、主役級以外のキャラにもばんばんスポットライトが当たるもんだから、自然と彼らの物語も気になってしまうんですよ。
 自分で創作をやるようになった今だからこそわかるんですが、先の見通せない連載漫画ならともかく、エロゲや映画みたく一本できちっとオチがついて完結する媒体だと、そういうサブキャラにもばんばんスポットライトを当てるような構成って、普通は悪手なんです。
 一時的とはいえ、ストーリーの中心が主人公たちから離れてしまうので、どうしてもストーリーが散漫になってしまいがちだったりしてね。
 だけど、結果としてあやかしびとは、その散漫さを魅力に転嫁しているんだから大したもんです。
 主人公が誰かなのかはっきりしていて、ストーリーの軸も序盤から明確なのに、不思議と群像劇っぽかったりするのも、僕がこの作品にカオスさを感じた所以でしょう。
 たぶん、東出さんは、あやかしびとの登場キャラクター全員が好きなんじゃないですかね。そうじゃなかったら、ああまでして脇役にもにいちいちスポットライトを当てて見せ場を作らないと思いますから。

連載コラム、雑記、思い出話「ぼくと、エロゲ 第14話〜怒りの日来たれり・2007末〜」

2007年の終わりごろ、本格的に街が白く染まりはじめた季節だったと思う。
 思いがけない偶然がトントン拍子に重なって、僕は少しだけネットのできる環境を手に入れることに成功した。
 ちなみに自宅ではありません。
 冬ともなれば雪が二メートル近く積もるのが当たり前の過疎地にあるマイハウスに光通信が開通したのは、2011年の春のことですので。
 ちなみにネカフェでもありません。
 それはもうちょっとあとになってから利用するようになります。
 じゃあ、いったいどこなのかというと会社ですよ会社。
 勤め先のPCがネットに繋がってて、エロゲメーカーのHPを閲覧しほうだいなことに気づいちゃったんですよ。
 いやね、当初はそこまでネット環境を欲していなかったんですがね。そのころプレイしていたあやかしびとのCPU使用率が高すぎてペンティアム4がアッチッチッアッチッチッでどうしようもなくなりまして。(熱暴走で強制終了しやがりますです)
 それで調べてみたら、なんでもメーカーのほうからCPU使用率を下げるパッチが出てるらしいじゃないですか。
 これはどうにか手に入れなければ、と頭を悩ませていた矢先に、ふと目に入ったのが会社のPCだったわけです。
もう、これを有効活用しない手はないということで、修正パッチから体験版からデモムービーまで、夢中になってダウンロードしまくりましたとも。
 休みの前の日ともなれば、20GBのポータブルHDDを会社に持ち込んで、夜遅くまでこっそり居残りですよ。
 あのころって、まだYouTubeが流行りだしたばかりで、エロゲのデモムービーに限らずアップされてる動画はどれも画質が荒かったので、メーカーのHPからMPGファイルをダウンロードするのがまだまだ主流でした。
 たしか、最初にダウンロードしたデモムービーは、『遥かに仰ぎ麗しの』だった気がします。

 で、そうやって色々ダウンロードした中で、僕の心を特に引きつけていたのがこの作品。

『Dies irae −Also sprach Zarathustra』

http://www.youtube.com/watch?v=DR-kIluYxG4

 少し前に買った
『R.U.R.U.R 〜ル・ル・ル・ル〜このこのために、せめてきれいな星空を 』

 におまけで付いてきた体験版はべらぼうに熱かったし、デモムービーも榊原ゆいにゃんの主題歌も文句なしにかっこいいしで、期待感はもうMAXでした。
 デモンベイン、AYAKASHI、あやかしびと、と燃えゲーを続けてプレイしていたのもあって、そちらに気持ちがスイッチしてたんでしょうね。
 ただ、他に積んでた作品が多かったのもあって、予約まではしませんでした。
 何かを察知して慎重になっていたわけではないく、よその人の評価がちらほら聞こえてきてから買おうかなーとただ普通に考えていたんです。
 そしたら、ね。
 わかる人にはもうおわかりでしょうけど、あの事件が起こってしまうんです。

 
 怒 り の 日 来 た れ り!

 詳しくは以下のコピペ参照

『怒りの日事件

シナリオライター正田崇を語る上で欠かせない出来事であり、エロゲー業界の中でも有数の不祥事である。
単純に 「怒りの日」 や 、似たような不祥事を起こした作品cuffs・Gardenとセットで「怒りの庭」 などと言う場合もある。

発端はいわゆる「2007年版Dies irae」、「Dies irae~Also sprach Zarathustra~」である。
前作PARADISE LOST、先行公開された体験版の高評価、原画家Gユウスケの参戦もあって、少なからずの期待を受けて発表、延期を度重ねて発売されたのが本作。しかし、本当の問題は実際に発売されてから発生した。
まず、発売前には攻略ヒロインとして綾瀬香純、櫻井螢、マリィ、氷室玲愛の4人分のルートが挙げられていたのだが、この時実際に攻略できたのは香純とマリィの2ルート分だけだった。ルート削除に関しては、特に玲愛のファンが当時から多かった(実際は玲愛と螢のファンが大半だったと思われる)ために意気消沈したユーザーが多かったという。
上記のシナリオ削除に伴い、HDD容量が誤記として扱われ、発売日前日にHPでスペックの容量をその2分の1に予告なしで変更し、発売前に宣伝で使われていたCGやシーンは実際のゲーム中では使われなかった。
本作は体験版が高評価だったこともあり期待が寄せられたのも大きいな要因なのだが、その体験版以降のシナリオレベルが劣化し、発売前は正田崇オンリーという発表だったはずがスタッフロールで実は7名による複数ライターでの制作だったことが判明する。
このように、2007年版は多くの期待を寄せられていたはずが、その期待を招いた多くの情報を偽り、予定スペックの変更を発売日前後まで隠していた。
もちろん某掲示板の該当スレは大荒れとなった。
所謂未完成商法の代表例である。……と言うか、本事件以降エロゲー業界において未完成商法が目に見えて頻発するようになった事から、ぶっちゃけてしまえば未完成商法の大元である。その為、現在でもDies iraeや正田崇、lightに対して悪印象を抱いているユーザーも少なくない。 』

 当時のテンプレコピペ
『・・・その頃、light軍の陣地は重苦しい空気に包まれていた。
司令官服部は目の前のPCの画面を苦虫を噛み潰したような顔でじっと見ている。
「・・・どうやら・・・」服部が口を開く。
周りでそしらぬ顔でオペレートに熱中する・・・ふりをしていた兵隊達の背中がこわばる。
「この分では年末海峡に展開している流通軍と銀行軍の追求をかわせない状況かな・・、と」
兵隊達は聞きたくない。しかし、聞きたくないのに、耳が服部の発言を追い掛けてしまう。
「これ以上戦線が崩れるようではうちは敗北してしまう」
服部はもっとはっきり聞こえるように、声を大きくした。
耳をふさぎたい兵隊達。だが、反応して聞こえてますとアピールしたくないのでますます操作に熱中する。
「敗北するとどうなるか。それはサプライが供給出来なくなるということだな」
ひぃぃぃぃぃ・・・・。この場合のサプライとはそのまんまである。
「困るな、それは」服部は立ち上がり、兵隊達の間を歩き回る。
「で・・・、だ。艤装はそこそこ終わったんだろう?新造戦艦Dies Iraeは?」
兵隊の一人がおそるおそる声を上げる。
「いえ、その・・・、まだ、兵装がちょっと・・・、一番砲の『先輩』と三番砲の『蛍』がまだ・・・」
「間に合わせたまえ」服部はあっさりと言った。
「でも、まだ、設計主任の正田さんが・・・、まだ仕事が終わっていない、と・・・」
「彼は仕事はもう終わりそうだと半年も前に言った」服部は続けた。「すぐにも出せ。」
「でも、それではバランスが・・・」必死に言いつのる兵隊。
「兵は拙速を尊ぶ、こういう言葉は知らないかな、君は?」
「いや、でも、それでは、Diesに搭乗するヲタ達が納得するかどうか」
「彼らは納得するさ。何しろ待ち望んでいたのだからな。二番砲の『マリィ』も四番砲の『香澄』もあるし。」
「でも・・・。」テストも済んでないし、突貫工事で特に四番砲は・・・と、言おうとした言葉を引っ込める。
服部の額にも汗がにじんでいるのを認めたからだった。この戦いは負ける・・・。』


 と上記のような出来事がありまして、エロゲ界にはスワスチカなる用語が誕生したのでした。

『スワスチカ

元ネタはDies irae~Also sprach Zarathustra~。同作品内では、大量の人間の魂を吸い発生する異常領域のことである。このことから、多くの勇者(という名のエロゲユーザー)の心を打ち砕いた呪われし地雷作品をこの名前で呼ぶことができた。

スワスチカ認定の基準としては、
体験版、広告、HPの作品紹介などの発売前広告の出来が良く、人気と話題と多数の予約者を集めた事。
ゲーム開始後から暫くはゲーム性、シナリオ共に好感度であること。
発売後、広告にて中心的位置づけにされていたヒロインのルートの削除、攻略キャラの削減が行われた事が判明する事。
地雷という事が判明した後も工作版などで話題を集める事。ユーザーバッチが作成されれば確実。
とされている。おおまかではあるが、未完成商法で売られた作品や攻略の際に致命的なバグがあるなど、物語を進めることが趣旨のゲームとして成り立っていないものに言われやすい。だいたい1年1本くらいのペースで今も生産され続けている。
 
 詳しくはこの辺参照
 http://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/22634.html



 エロゲって、どうもこういった危ない部分があるらしいというのを知識としては知ってましたが、まさか祭りをリアルタイムで目撃する機会が訪れるとは思っていませんでした。
 ユーザーの魂がスワスチカに捧げられる様をリアルタイムで目にすることになるとは!
 07年版Dies Iraeの値下がりの勢いといったら本当にすごかったですよ。
 具体的にいくらで買ったかは忘れてしまいましたが、発売から3ヶ月後ぐらいには三分の一以下で楽々買えたと記憶しています。
 加えて、そんなDies Iraeの後を追うかのように、似たような未完成作品が一年以内に続々リリースされたのですからエロゲ業界恐るべしですよ。(Gardenとかアイ惨とかね)
 そりゃ、スワスチカなんて揶揄もされますってば。
 

※余談
 僕が会社のPCでエロゲメーカーのHPを見てたのがバレたのか、はたまた別の誰かがエロサイトでも閲覧していたのか、この二年後ぐらいに会社の規則に、
『社用PCでいかがわしいサイトにアクセスするべからず』
 という一文が付け加えられ、併せてパスワードによるロックをかけられてしまい、僕はやむをえず隣町のネットカフェを利用するようになるのだった。
 

(画像は当時プレイしたエロゲから)



雑記、コラム、漫画「ある天才漫画家との出会い」

 僕に限った話ではないと思いますけれど、物語を嗜むということにこだわりを持ちはじめると、知らずのうちに、あるいは自覚していても眼差しに角度をつけてしまいがちです。
 褒めるにしても、貶すにしても、目を凝らすのが当たり前になってしまって、正面から素直に受け止めるということができなくなってしまう。
 まず否定から入るようになってしまったりなんかしてね。
 僕は一時期これに頭を悩ませまして、物語と向き合うときはどうにかして真っさらになりたいと強く意識していたものです。
 けどね、今はわかったんですよ。
 素晴らしい作品というのは本当に素晴らしくて、こざかしい理屈なんか楽々と飛び越して心の深い部分にススッと差し込んでくるもんだって。


 本題です。
 文句なしに凄い作品というのはたしかに存在していて、それを生み出した凄い創作者というのもまたたしかにいるんだなと、僕はつい最近再認識させられました。
 きっかけは、夏頃に放映されていたガッチャマンクラウズというアニメでした。
 本題はこっちではないんですけど、これもまたすごくいい作品だったんですよ。
 隠喩やらメタ構造やら、深読みしたくなる要素がたくさんちりばめられていて、観て楽しむというの以上に、想像力を働かせて自分で考えてみるのが楽しいアニメでした。
 僕は普段あまりアニメは観なくて、他者の熱のこもったアニメ感想を読んだりなんかしてもそんなに触手を動かされるタイプではないのですが、一目置いてるブロガーさんが僕の気をグイグイ引くような語り口でこのガッチャマンクラウズに触れていまして、試しに観てみたら瞬く間に引き込まれてしまったクチです。
 で、結構色んな人がガッチャマンクラウズの感想をブログに上げたりしてまして、その中のひとつに、『はじめちゃん』というガッチャマンクラウズの主人公について言及している一説があったんです。
 

 この主人公がすごく個性的なんですよ。
 一見何も考えてないようなんだけど実はまったくそんなことはなくて、善人なのはたしかなんだろうけどその本心がどこにあるのかさっぱり見えてこない、そういう捉えどころのないキャラクターなんですよ
 あまりにニュートラルで多角的多面的な考え方の持ち主なもんだから、はっきり云って得体の知れない気味の悪さすら覚えてしまうようなキャラクターです。
 まず間違いなく天才の類でしょう。
 話を戻りしまして、そんな主人公について触れた感想の中に、新井英樹さんの『キーチ!!』というマンガが引き合いに出されていたんです。
 いわく、そのマンガは、天才、カリスマ、英雄といった傑出した人物が出来上がっていくまでを描いた作品との話でした。
 でね、なんとなく興味を惹かれたのもあって、僕はその『キーチ!!』という作品に手を出してみたんです。
 全9巻ですか。そんなに長くはありません。
 染谷輝一という主人公の少年がこの世に誕生するところからはじまる作品なんですが、読みはじめの印象は期待してたほどよくありませんでした。
 

 作者である新井英樹さんという方も、よく天才だなんて云われている人らしく、たしかにポテンシャルを感じさせるような内容ではあったんですけど、どうも物語の輪郭がはっきりしなくてイマイチ乗れなかったんです。
 誰かを天才扱いするときって、二通りぐらいパターンがありますよね。
「この人は天才だ!!」と、素直に感嘆するパターンがひとつ。
「あー、はいはい天才っぽいねー」と、すごいのだけはなんとなくわかるんだけど、理解の難しいものに天才というラベルを貼ってそこで思考停止してしまうパターン。
 それで、キーチという作品に対する僕の最初の印象は、間違いなく後者よりでした。
 しかし、「期待ハズレだなー」とテンションが下がっていったところで、主人公の少年が物心ついて成長していくにつれて物語の輪郭がだんだんと形になってきまして。
 あれあれ、これはもしかして……と僕が気持ちを正しかけた辺りで、物語がある定まった方向に向かって猛進しはじめるわけです。競馬で云うところのムチが入ったとでもいいましょうか。
 そこからはもうね、しびれましたよ。心の芯から。
 認識を翻して、「この人は天才だ!!」と、素直に感嘆しましたとも。
 天才、カリスマ、英雄が出来上がっていくまでを描いたとの情報に誤りはなかった!
 たとえフィクションだとしても、正面切って戦わせるのは躊躇っちゃうようなおぼろげでとてつもなく大きな何かってあるじゃないですか。
 この作品は、小さなところからはじまって、最後にはとてつもなく大きな何かと正面対決するような物語です。
 
 
 
 まさに破格。
 バカはそんなのに考えも及ばないだろうし、利口は無駄だと割り切って描こうとはしないだろう。
 そこにあえて挑むのは天才か、はたまたキチガイぐらいでしょうよ。
 
 
 とはいいつつ、『キーチ!!』の続編に当たる『キーチVS』はまだ読み終えてないので、ちゃんと完結までは見届けてないのですけれど。てへペろ。
 

 それともうひとつ。
 キーチがあまりに良かったから、この新井英樹さんについて調べてみたところ、なんでも、マンガ夜話で取りあげられるぐらいの代表作があるらしい。との情報を得たんです。
 ええ、もちろん読みましたとも。

ザ・ワールド・イズ・マイン

 ボカロの曲じゃないよっ、こっちのが先なんだよっ。
 今は亡きヤンサンで連載されていたという新井英樹さんの代表作、ザ・ワールド・イズ・マイン
 この作品もすさまじいんですよ。
 ジャンル分けするのが極めて難しく、表現する言葉に困るタイプの作品でもある。
 普段何食ったらこんな物語を思いつくんだってぐらい並外れてて、「この作者天才だ!」を二回ぐらい繰り返し口にした気がします。


 暴力が服を着て歩いているような男モンちゃん
 吐き気するほど人間のスタンダードで、モンちゃんに心酔するトシ
 彼ら、トシモンコンビが行く先々では血の色をした殺戮の嵐を吹き荒れる
 一方、津軽海峡を渡って本州に上陸した謎の怪獣ヒグマドン
 人智の及ばぬこの存在もまた、もはや天災としか思えぬ圧倒的な力で人々を蹂躙していくのだった――
 
 
 
  
 と、あらすじをかいつまんで書いてみても、物語がいったいどこに向かおうとしているのかまったくわからない。
 先の展開が読めない作品は数あれど、これはそのなかでもトップクラスでしょうや。
 加えて、何から何まで濃くてね、読んでるだけでどっと疲れる。
 漫画読んで疲れたのなんかはじめてでした。
 そういう読むのに体力がいる作品なのに、一度読みはじめたらとまらないんだこれが。
 作中で、「体重の乗った言葉」という言い回しが使われるんですが、この作品はまさに「体重の乗った作品」ですよ。
 小手先でこれは生み出せないでしょう。
 印象深いキャラがゴロゴロ出てくるんですけど、つまるところちゃんと自分を持ってるキャラが多いから濃く感じるんですよ。
 主人公たち殺人鬼二人組がもっともらしいことを言ってきても、それに対して自分なりのアンサーを自分の言葉で返すことができる。
 
 

 この作品に限らず、こういう脇を支える人間がしっかりしている作品には名作が多いように思えます。
 結果として一面的ではない物語を生み出していると。
 

 なんて熱っぽく語らせていただきましたが、素晴らしい作品、素晴らしいクリエイターというのは、やっぱり問答無用なんだなと改めて理解しました。
 作品を積極的に楽しもうとする姿勢だとか、そういう読者側の譲歩なんかまったく必要とせずに読む者の心を惹きつけてしまう。
 なまじ創作なんかやってると、少しでも参考にしようと思って、なあなあ的によかったところ探しをしてしまいがちなんですが、そういうこざかしさを寄せ付けない傑作との出会いは本当に得難いです。
 またひとつ勉強になりました。      

連載コラム、雑記、思い出話「ぼくと、エロゲ 第13話〜笑顔でメリークリスマス・2007末〜」

まだ10月ですので話題にするには少々気が早いですが、クリスマスというのはエロゲにおいても何かと重要なイベントだったりします。
 冬が舞台のエロゲ=クリスマスが最大の山場と云い切っても過言ではありません。
 次点でバレンタインっとこですか。
 でね、エロゲーマーというのは、クリスマスになったらとりあえず起動しとこうと思い立つような作品を二つ三つ、心に決めているもんなんですよ。
 僕だってそうですとも。

パティシエなにゃんこ

 僕にとってのクリスマスエロゲと云えばこれです。
 生きてる人いますか? とか、関東万歳だとか、刺殺絞殺撲殺斬殺圧殺完殺全殺、惨殺狂殺どれでも選べとか、シリアスなのばかり続けてやっていた時期、なんとなく間に挟んでみたのがこの作品でした。
 エロゲ世間的にもそうですし、僕としても圧倒的高評価とは云いませんが、思い出深いという意味ではかなり上位にくる作品です。
 まぁ、以前語ったロケットの夏と同じように、プレイしたタイミングが絶妙だったんですよ。


 これねぇ、一言で云って、すごい癒される。
 かいつまんで云っちゃうと、ケーキ屋の臨時店長がひょんなきっかけから夜になると猫になっちゃう魔法をかけられてしまうというだけのほのぼのストーリーなんですが、主人公含めて、出てくるキャラクターがみーんないいやつ。そしてあったかい。
 ストレスフリーな作風なんですけれど、過度なマンセー展開がないから、何よりも鼻につくような嫌みがないんですよ。

 あえてジャンル分けするならラブコメなんです。だけど、方向性としては日常系に近くて、ほんのりとしたイイハナシが軸なんです。
 そう、イイハナシ。
 勝手に名づけてるんですが、僕はその手の作品をイイハナシ系と分類しています。
 パティシエなにゃんこと同時期にプレイしたサナララなんかもそこに含めてますね。
 

 判断基準が主観によっているので明文化しづらいのですが、プレイしている最中やプレイ後にほんのりするかどうかがキーポイントになってます。
 世界観が優しいこともさることながら、むやみやたらに感動を押しつけてこないことなんかもですか。
 つまり、いろんな意味でふんわりソフトであると。
 それで振り返ってみれば、このイイハナシ系の作品ってのは、スプーン一杯分ぐらいはビターな要素を含んでいることが多いんです。
 むしろ、だからこそふんわりした部分が際立ってるんじゃないでしょうか。
 甘いお菓子を作るのにも、塩をひとつまみ入れるようにね。
 今でもちゃんと覚えてるんですけど、この“パティシエなにゃんこ”も主人公が父親との確執を抱えていました。
 同じ職人としての尊敬と、息子としての反抗心の入り交じった嫌悪というね。
 まぁ、父と子というのは創作における普遍的なテーマですよ。
 けれども、こういうビターな部分を物語の軸にしてむやみに感動を煽るようなことは一切しないんですよ。
 そういう事実を、物語の中でただあるものとしてだけ描いている。
 さすがに放置はせず、ささやかに救済はしますけれど、あくまでもメインではない。
 こういった慎ましやかこそがイイハナシ系ならではだと思います。
 世界の片隅でなんか起こってる感なんて云い換えてもいいかもしれません。
 癒しとはよく云ったもので、承認欲求を手っ取り早く満たしてくれるハーレム展開を美女揃いのキャバクラだとするならば、こっちは老夫婦がやっているほっこりした雰囲気の居酒屋みたいなもんでしょうね。
  
(↓画像はその時期プレイした作品いくつか)




 ――っとまぁ、ほんのりイイハナシってイイヨネ。って話をしたばかりなんですが、そういうのとは真逆のベクトルにあるのかもしれない、すっごいディープでえっぐい話も僕は嫌いじゃないんですよ。
 といいますか、嫌いじゃなどころか好きなんだなと、再確認させられるようなとんでもないクリエーターさんに最近出会ってしまいまして。
 その人はねぇ、正真正銘の天才です。
 いずれ語らせてもらいますけど、もう僕の想像力じゃ抱え込めないぐらい破格中の破格。
 今さら感ありありなのは自覚しながらも、こういう凄まじい作品との出会いに感謝したくてしょうがない気分です。
 イイハナシ系がゆったりリラックスした気分で寝床につけるなら、こちらはもう寝つけなくて寝不足になるタイプでしょうよ。
 実際読みはじめたら止まらなくて数日寝不足になりましたとさ。


連載コラム、雑記、思い出話「ぼくと、エロゲ 第12話〜天使はいない・2007末〜」

 前回、僕はクロスチャンネルをダシに共感や自己投影の話をさせていただきました。
 見習いの身分ながら、自分でも筆をとるようになった今だからこそわかるのですが、エロゲに限らずビジュアルノベルやADVって、主人公の目を通して物語を追体験させられているようなもんなんです。
 基本的に主人公の一人称で物語が進み、その都度思想や思考、いわゆる内面をダイレクトに読まされるわけで、不思議なんですけど、同じく一人称で綴られた小説と比べても、没入度が高くなりやすいよう傾向があるように思えます。
 これって、この手のゲームの主人公に人格らしい人格がなかったころよりも、しっかりとした人格が与えられてからのほうが強まっているんじゃないでしょうか。
 恋愛やら性癖やら、あまり表立って口にしづらい題材を大なり小なり扱っているのも大きいと思います。
 つまり、僕らは主人公の内面に踏み込んでいっているわけですよ。
 ましてや、ストーリーの核心に近いドラマチックな場面に限らず、ただ飯を食っているシーンやら、本当にたわいない雑談に興じるシーンやら、色々な場面で主人公の内面を覗かされます。
 こうも主人公の内面を覗かされるのなんて、他に純文学ぐらいかもしれません。
 それでですね、内面に踏み込んでいった先で、「ああ、こいつは俺そっくりだ」という強い共感を物語のキャラクターに対して抱いたことはありませんか?
 僕はあります。

“天使のいない12月”

 この作品の主人公の思考が、10代のころの僕とあまりに似通っててびっくりしました。
 思い出したんですけど、これたしか、後輩がたまたま持っていたのを借りてプレイしたんですよ。
 Leaf(通称・葉っぱ)というエロゲ業界を代表するメーカーの中にあって、結構マイナーで、なおかつ異色な作品です。



 似通ってたとはいいましたけど、無論、すべてが自分と似ているなんてことはありませんよ。
 そもそも、僕がエロゲ主人公ばりに女っけのある日々と縁があるわけないじゃないですか。
 フヒヒ……。
 ただ、八割自分とは違っていても、二割自分と似通っていれば、もはや他人とは思えない。
 そういうとびきり濃密な部分というのがあるんです。
 それは現実の生活においてもそうかもしれませんね。


(僕もこの作品の主人公も妹との仲が極めて良くなかったり。たはは)



 いわゆる厭世感、云い換えると、生きることへのめんどくささというのを多感な時期の僕は絶えず抱えてまして。
 今も抜け切れてはいなんですが、とりあえず、これはもう持病みたいなもんだとわりきることはできてます。
 だから、この作品の主人公が度々「めんどくさいめんどくさい」と繰り返すのにとてもシンパシーを覚える。生きてることすらめんどくさく思えてしまう感覚にもね。
 こんなにシンパシーを覚えたのは、15歳の冬に“深夜の馬鹿力”という伊集院光さんがやってたラジオ番組に出会ったとき以来ですよ。
 たぶん、この作品は一生忘れられないと思います。
 素晴らしいとか面白いとか、そういうのとはまったく別の次元で、ここまで主人公に共感した作品はないでしょうから。
 

 記憶って、結局は薄れていきますし、都合の良いように改変されていってしまうことだってあります。
 だから、いつでも思い出せるようで、本当の過去の自分と向き合うことって案外無理なんですよ。
 けれど僕は、10代のころの自分とよく似た価値観を持った物語の主人公に触れることで、少しだけ本当の過去の自分と向き合うことができました。
 まぁ、結局は少しだけではあるんですけどね。
 よく、ハードボイルド小説の主人公が「過去を振り返ることなんて無意味だ」みたいなことをかっこつけて口にしたりしますけど、今自分が立っている場所をたしかめるためには、それは決して無意味ではないんです。
 この作品の主人公は、選択肢によっては厭世観極まっていくところまでいってしまうわけですけど、僕は結局そこまではいかずに10代を通りすぎて、30手前の今も平凡な日々を生きている。
 じゃあ、僕をそうさせたのはなんだったのか。
 それは、我執の入り交じった意地だったり、ささやかな希望だったり、未来への期待だったり、今でもはっきりとは見えてきませんが、やっぱり自分と向き合ってみないとわかりようがないことばかりです。
 

この、“天使のいない12月”をプレイしたころには、すでにどっぷりエロゲにはまっていたわけですが、よもやエロゲがきっかけで自らと向き合わされる機会が訪れるとまでは夢にも思っていませんでした。
 面白いか面白くないかだけが判断基準だったのが、大きく変わりはじめたのは間違いなくこのころでしょう。
     


ワーイ、ワーイ♪…エロゲガ デキテ タノシイナ〜…♪

連載コラム、雑記、思い出話「ぼくと、エロゲ 第11話〜いわゆる世界と自身とをつなぐアレ・2007秋〜」

“共感とは、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。
 もしくはその感情のこと。
 たとえば知り合いがつらい表情をしているとき、相手が「つらい思いをしているのだ」 ということがわかるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。”


 上記したのは、Wikipediaからそのまま拝借してきた共感という言葉の意味についてです。
 創作をやっていると、共感できるキャラクター、主人公を生みだせ、と散々云われるのですが、はたして共感できるキャラクター、主人公とはどういう条件を満たした結果生じるものなのでしょう。

・受けて側と思考が近い。
・主観的に見て親しみやすい性格を有している。
・受け手と思想、価値観が大きくズレしていない。

 この辺を押さえておけば、少なくともとっつきづらい主人公にはならないでしょう。
 いわゆる無難というやつです。
 ならば、この逆をいけば必然的にとっつきづらい主人公が生まれるという方程式が成り立つ?
 さぁて、それはどうでしょう。
 とっつきづらいと共感できないはイコールなのかと云うと、そうとは限りません。僕はそう考えます。

 はい、ここからエロゲの話。

『Cross†Channel』

 前回も名前を挙げた、文句なしに名作エロゲに数えられる一作ですね。ちょうど今年で発売から10年ですよ。
 よく物語の主人公への共感は、自己投影とセットで語られたりしますけど、このクロスチャンネルほど主人公に自己投影しづらい作品はそうそうないと思います。
 プレイしたことのある方ならよくおわかりいただけるはず。

・受けて側と思考がかけ離れていて。
・主観的に見て親しみやすい性格を有しておらず。
・受け手と思想、価値観が大きくズレている。

 ざっと羅列してみるとわかりますが、およそとっつきやすいとは云えないキャラクター造形をしています。
 にもかかわらずね、この主人公はどうしようもなく共感せざるを得ないキャラクターでもあったりするんですよ。
 この主人公とは本質的な欲求が違う方向を向いている僕でさえそうなのですから、高評価をつけた人なんかは特に深い共感を覚えたことでしょう。

『――ここに全員いる。
みんなが、ここにいる。
単に、放送部員がいるという意味だけじゃあない。
幾多の嘘とだましの上に成立した、仲良しこよしの残骸だ。
そんなものが、この世界に生きる俺たちの寿命を、心の崩壊までのリミットを、少しだけ延ばしてくれる。』


 物語の主人公なんてのは、結局は他人なわけですよ。
 ましてや自分とかけ離れた思想、思考、性格の持ち主だったりすると、よけいに間が遠くなるばかりで、例に挙げたクロスチャンネルの主人公・黒須太一にいたっては、およそ共感しづらい主人公の条件を満たしきっている。
 極端な云い方をすると、あの主人公は狂人以外の何者でもない。




 
 そのうえリアリティがあるかといえばまったくもって現実離れしている。
 でもね、それでも感じいるものはあるんです。
 というか、あったんです。
 クロスチャンネルをプレイしたあの日から早6年。改めて考えてみてわかったことがあります。
 きっと、そうさせているのは切実さなんでしょう。




『人はただ、いてくれるだけでいい。
場所も、性質も、性別も、問わない。
いてほしいんだ。
人は人にいてほしい。
より近くに、感じたい。
手を伸ばした先に、誰かがいるという安心。
それを得たい。
だから人は呼びかける。
電話で。言葉で。手紙で。態度で。
……無線で。
どこかで誰かが聞いてくれますように。
そう願って。
みみ先輩は正しかった。
逃避だけど正しかった。
俺は人なんだ。
ああ。
信じられない。
深い意識にかき乱され、無邪気に人を壊してしまう俺だ。
強調を衝動に阻害されるのだから、当然だ。
けれど俺は、人だったんだ。
生きられる。
その充足感だけで、俺は生きていける。』

 大真面目に何かに向き合ってる姿って、苦悩の中身や是非を別にしても胸を打つじゃないですか。
 こういう深い共感は、無難を積み重ねただけの主人公には生じえないと考えます。
 だって、実際そうだったんですもの。
 いずれ話に挙げるであろう瀬戸口廉也作品の主人公もそうですけど、自分とは似ても似つかないのに激しく共感を覚えた経験は少なくありません。
 理屈で考えるとおかしなことなんですけど、案外これって誰にでもあることなんじゃないですかね。